コロナに追い詰められる師走に、駄目押しのような厳しい寒波が押し寄せてきた。早暁、まだ暗い中のウォーキングでも小雪がちらつき、手袋に浸み込むように、そして厚く着込んだパーカーを突き刺すように、氷点下の鋭い寒気が絡みついてくる。軽いアップダウンが続く30分の町内ひと周りのウォーキングだが、ペンライトで足元を照らしながら、息が弾むほどの速足で一気に歩き続けると、家に帰り着いた頃には少し汗ばむほどに温まっている。
しかし、寒い!寒がりの私は、歳と共に一層の寒がりになり、とうとう裏フリースの温かパンツを買って来た。コロナ籠りの運動不足に飽食が重なり、腹囲が2センチほど増えているのに少し慌てる。理想体重まで2キロほど減量しなければならないのだが、「食うよりほかに、やることもなし!」の日常では、これがなかなか難しいのだ。
趣味で続けてきた読書会も、「伊勢物語」の半ばを過ぎたところで中断、気功教室も当分の間休講、町内の年末行事のクリスマス・コンサートも餅つき大会も中止、代わりに、福祉の団体「ひまわり会」から、高齢者の会「花想会」の会員世帯にマスク21枚ずつが配られてきた。
これほど「予定」がない師走も珍しい。年賀状も200枚書いて、15日に投函した。300枚を恒例にしていた年賀状も、「初春を寿ぐ」というより「生存確認」の様相を呈してきたし、高齢化で賀状欠礼の通知も増えた。喪中欠礼も相次ぎ、次第に送る相手が少なくなってきた。そこで、多少の不義理を承知で、数年前から200枚に減らすことにした。
世の中全体で賀状が減る一方、「鬼滅の刃」を印刷した賀状が200万枚売れたとか?!
越年の我が家に恒例の「おでん」の材料として欠かせない、生の牛筋とアキレスをそれぞれ1キロ肉屋に依頼した。お節料理も出来合いを発注した。お歳暮も済ませた……こうして、1年の「納め」の行事が片付いていく。何か、納めたくても納められないことが幾つもあるような気がして、未練が残るというよりも、むしろ無かったことにしてしまいたい令和2年の年の暮れである。
西鉄電車に乗らない日々が10ヶ月を超えた。福岡の繁華街・天神て、いったい何処だっけ?と言いたくなるほどご無沙汰して、すっかり大宰府原人に先祖返りしてしまった。「昔を思い出して、四つ足歩行に戻ります」というような戯言を友人たちに送ったりしながら、今日も鈍色の冬空を見上げていた。
2週間後、82本目の「冥土の旅の一里塚」が立つ。振り返れば霞むほどに立ち並ぶ一里塚も、いずれは卒塔婆で尽きるだろう。
スッと庭を横切る影がある。地上1メートル辺りを、寒椿から蝋梅の辺りに影が掠める。そうか、もうその季節なのだ。
蜜柑を二つ割にして、庭先の灯篭の上に並べた。待つこと数分、「チチッ!」と鳴きながら、二羽のメジロが飛来して啄み始めた。我が家の冬の風物詩である。買った蜜柑は、半分ほどはメジロたちに振舞われる。
キョトキョトと、周りを警戒しながら、二羽が交互に蜜柑に下り立っては嘴を突っ込む姿は、冬籠り・コロナ籠りの憂さを振り払う、何よりの癒しだった。
買い替えたカメラを向けた。200ミリ望遠レンズのデビューである。
買い物をして戻った夕方、二つ割の蜜柑は、丸ごと姿を消していた。多分、カラスの仕業だろう。石穴稲荷の杜の頂には、数百羽のカラスが巣食っている。早暁のウォーキングの道すがら、街灯の明かりでごみ袋をつつくカラスを見かけることも少なくない。頭のいい鳥である。下手に追っ払ったりしたら、後日頭をつつかれたりもする。
日差し戻った。今日も二つ割りした蜜柑を並べてやろう。
(2020年12月:写真:訪れたメジロ)