
呼応する霧笛の中、凪の海を船は滑るように進んだ。ベランダで、流氷と遠く崩れ落ちる大氷河を見ながらシャンペンで祝うはずだった朝食は、濃密な霧を見ながらキャビンで摂るしかなかった。スティーブン・パッセージを南下して、アラスカ屈指の絶景といわれる45キロのフィヨルドの奥まで入るこの日のクルーズは、この旅の最大の目玉だっただけに心が残った。
しかし、次第に晴れていく霧の海、その中から遠く残雪を頂いた峻険な嶺々が浮かび上がってくる神秘的な風景は見飽きなかった。双眼鏡を片手に、終日海に見入っていた。時折、クルーズ船がすれ違う。鮭の群がジャンプする。水鳥が波間に浮かぶ。シー・ライオンの群が岸辺を覆う島が過ぎる。蒼い流氷がゆっくり漂っていく。島の森の梢から白頭鷲が見送ってくれる。(この日見ることが叶わなかった鯨も、後に見学を許された操舵室の窓から、そしてヴィクトリア上陸前のランチのテーブルから見ることが出来た。)
翌未明、家内の声で起こされた。午前4時、左舷の遙か彼方の山を黒々とシルエットにして、壮絶な朝焼けが燃えていた。燃え上がる雲と山影と朱を映す波と、重々しいまでに荘厳な朝焼けだった。日没が9時半、長い長いアラスカの一日が始まろうとしていた。
午前6時、アラスカ最後の寄港地ケチカン。かつてはクリンギット族が鮭などの狩猟生活を送っていた集落であり、街の名前の由来は『羽を広げた鷲』を意味する。クリンギット族やハイダ族の文化である数多くのトーテム・ポールは、この旅で見たかったもののひとつだった。星野道夫もボブ・サムとトーテムの原点を探って、きっと歩いたに違いない街なのだ。
寄港時間が短く、慌ただしいバスのツアーになってしまったが、熊やシャチや鷲と共に、お目当てのワタリガラスのトーテムを幾つか見ることが出来た。
先日、ジュノーの街の売店で、思いがけずトーテムの紋様を幾つも彫り込んだジーパン用のベルトのバックルを見つけていた。そしてこれが、私のこの旅の一番の土産になったのだった。
(2005年6月:写真:洋上の朝焼け)
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