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18時45分、夕暮れの残暑を引き摺るようにフェリーが伊美港を出た。波ひとつない海は油を流したように穏やかで、雲間に没しようとする夕日が不気味なほどに真っ赤だった。大分県国東半島北北東の外れ、姫島までの狭い海峡を20分で渡る。姫島港に降りて3分も歩くと、もうそこが盆踊りの会場だった。
長年の憧れだった。お盆は家にいてご先祖と静かに過ごすことが習慣になっている世代には、遠い小島の盆踊りは縁ないものと諦めていた。しかし、仏様は広島の兄のもとの仏壇に移り、お寺の納骨堂に孫たちと参ったあとは、もう私たちを縛り付けるものはない。西日本新聞旅行社のツアーを見て、その日のうちに一番乗りで申込んだのだった。
孫二人と娘と、気の置けない家族だけの6日間。いつの間にか大学1年と高校1年に育った二人は、もう膝の上で戯れていた頃の幼さは微塵もなく、大きく羽ばたこうとする青春真っ盛りである。ひたすら爆食、爆買い、爆睡の6日間はあっという間だった。「驛(うまや)」での牛タン三昧、居酒屋「浜太郎」での海鮮尽くし、白髪の義弟がギャルソンとして手伝うAUTHENTIC LIVING BUTCHER NYC.でのTボーンステーキとリブアイステーキ(厚さ3センチほどもある熟成肉を、5人で1.1キロを食べて大満足!)、馴染の「きくち亭」でのフレンチ・ランチ、浴衣で天満宮にお礼参りした後に訪ねた豆腐料理専門店「梅の花・自然庵」での引き上げ湯葉会席、存分に食べ、存分に寛ぎ、したたかに眠って、名残りを惜しみながら3人は帰って行った。
孫たちと天神で別れたその足で、21人のツアーバスに乗り込んで国東半島に走った。お盆が始まれば、高速道路にさほどの渋滞もない。
歌えとせめかけられて 歌いかねたよ この座敷
座敷は祝の座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ
亀のじょうは 色は黒けれど 目もとよければ様殺す
殺しはこの町に二人 どれが姉やら妹やら
もろたら妹をくれて 妹みめがようで姉まさり
さそなら妹もさそが 同じ蛇の目の唐かさを
唐かさ柄もりがしても お前一人はぬらしゃせぬ……
何やら意味深長で、そこはかとなく隠微な気配もある「姫島盆踊り歌」が歌い手を替えながら延々と繰り返される中に、島内7会場を踊り連ねて、19番の踊りが披露される。観光化した徳島の「阿波踊り」や熊本の「山鹿灯籠踊り」とは違って、小さな島の盆踊りは実に素朴でいい。小学生や中学生、小さな子供達やお母さんお父さん、一般の島民…もともとは先祖供養の念仏踊りが盆踊りの原点、お盆で島に帰ってきた人々も交えて、様々なグループが思い思いの扮装で島の夜を2時間かけて踊りあげる。
圧巻は18番目の「狸踊り」、そしてラストを飾るのはCMやニュースで全国区となった子供たちの「キツネ踊り」である。お腹をポンポコリンに膨らませて臍を描き、真っ黒真ん丸に塗った目に、笠をかぶって徳利を肩にかけ大福帳を腰に下げた「狸踊り」の滑稽味。白塗りの顔に豆絞りの手拭いで頬かむりし、朱で髭を描き提灯や唐笠をかざして、駆け回り飛び跳ねる子ギツネたちの仕草の可愛らしさ!はるばるやって来た価値は十分にあった。
人いきれで汗に濡れた肌に、吹き渡る海風が心地よかった。
凪いだ海峡を、フェリーの船底の車載部分に茣蓙を敷いて蹲る難民のボートピープル状態で渡ったのが、この旅の第一のオチ。そして、汗にまみれた長旅の疲れと、4時夕飯という変則的なツアーに小腹を空かせて11時にホテルに帰り着き、シャワーを浴びて冷たいビールで夜食のお握りを食べようと思ったら、このホテルにはアルコールの自販機がなかったというのが第二のオチ。
それでも満ち足りた思いで、子ギツネの躍動を瞼に甦らせながら爆睡の眠りに沈んだ。
(2015年8月:写真:姫島キツネ踊り)
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