峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

関耕二町長が去る日

2009年06月25日 | 町内会長
現町長の任期が今日までということで、町内会連合会長・副会長の3人で労を謝するため役場に町長を訪ねた。

町長は1期4年を務め上げられた。もちろん、2期目を目指しておられたが、健康面で不安があり、引退を決意された。

実は、4月に行われた合併協議会設置の賛否を問う住民投票の直後に次の町長選には立候補しない旨お聞きし、後継について意見を求められていた。

その後、後継候補者が決まるまで紆余曲折【うよきょくせつ】あったが、結局、彼を支えてきた副町長に落ち着き、選挙の結果、副町長が当選を果たした。

自分の政策が継続して実行されることで心安らかなのだろう、この日の町長の表情は、ことの外、穏やかだった。

町内会で行事・活動を行う際には、町長に欠かさず招待状を差し上げた。町長はそれに応え、必ず出席してくださった。
敬老祝賀会では、町内会のご高齢者のみなさんと共に唱歌を歌われ、「もちつき祭り」では町内会の青壮年のみなさんに混じって杵【きね】をふるわれた。

大いに議論もさせていただいた。
町長は、すぐに激昂【げっこう】するとの評判があった。実際、そんな場に居合わせたこともあったが、それはそれなりの理由があった。決して、闇雲に当り散らすような人ではなかった。

あるとき、町長と合併問題について議論していて、話の流れのなかで「卑怯【ひきょう】ですよ」と申し上げたことがあった。しかし、彼は激昂するどころか、それならばと、あたためておられた構想をお聞かせいただきさえした。

いろいろある。しかし、今は「有り難うございました」しかない。

61,4-16,9
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