昨日は日差しも強く、夏のような日でした。母が亡くなってから初めて実家に行きました。長年親しくさせていただいたご近所にご挨拶でした。そして、主治医の先生にお礼にいきました。狭いウサギ小屋のような家もどうしたものか?と悩みます。
早く帰宅できたので、身体を休めながら夕食の仕度へ。ほうれん草を洗いながら、ふと佐藤初女さんの「おむすびの祈り」を思い出しました。初女さんは「食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません」と話しています。「おにぎり」を握るにしても「梅干」を漬けるにしてもその心遣いを大事にしています。材料を大切に扱うことの大切さも説いています。
私はていねいに材料を扱っていたでしょうか。ものを大切にひとつひとつしていたでしょうか。出来上がったものではなく、その工程を大切にしたでしょうか。走り抜けるような人生では味わえなかったことのように思います。このまえぶろぐに書いた「ものも人生も使い切る」という樹木希林さんの言葉のように、ものを大切に使い切るようにしたいと思いながらほうれん草を洗いました。