朝のベランダは肌寒かった。朝、起きるとベランダの植物をみるのが日課になってきた。植物はたくましい。途中で折れてしまったクレマチスは折れた所から新芽を出してきた。シクラメンもポインセチアもまだ元気だ。頂いたソバの種を蒔いてみた。芽が出てきたが、ソバの芽なのかわからない。ブライダルベルは小さな白い花をたくさんつけている。だれを祝福しているのだろうか。
一番欲しかった言葉が届いたので、心が解けた。そして、私は大声で「おかあーさんがいないー」と泣いた。子供のように、何度も何度もそう言って泣いた。
50歳に近い男たちが涙を流している。そのことがわからなくないが、男が泣くときは、親が死んだときではないかい?それでも耐えることがある。本当に悲しいときは、涙も出ないのだ。きっと、彼らはいままで守られて幸せに暮らしていたのではないだろうか。みんな、甘いよな。
つらくたって、泣きたくたって、働かないと(動きださないと)ならない人のほうが多いのだ。「生きる」ということはそういうことだろう。せめて、せめて、そんな人に、贈る言葉はないかと探している。