『枯れ葉散る夕暮れは 来る日の寒さの物語り・・・』だっただろうか。マンションに入り口の落ち葉が身を寄せていた。暖かいとはいえ、冬が来るのだなぁ と思う。少し膝が痛いような気がしたが、ボール蹴りに出かけた。行くなり、日曜日の大会の応援にどうして来なかったのか?と言われる。全国大会に出られる70歳以上の関東シニアの予選が群馬の前橋であった。久しぶりにミサにいけると思った日曜日、ここは教会が優先だった。というよりは教会が呼んでいたのだ。その前の那須の大会も何故来ないと言われる。どこの大会でも行くものと思われるのは、嬉しいことでもある。
私は、NPOの仕事を単純にこなしているだけで(皆さんが喜んでくれればいいと)それ以上はなにもない。お世辞でも観ていてくれると頑張れるとか言ってくれたり、差し上げた写真がとても嬉しいかったとか、お誕生日祝いのカードが、結婚後初めてもらった女性からの手紙だたとか。人が喜んでくれることができる機会をいただけることに感謝している。
教会の行事でいつも何かにつけ文句を云っていた人が、もうそういうことはどうでもいい と言えるようになった。多少の問題はあるが、目くじらを立てるほどのことではなかった。ましてや、教会の仲間のことだ。彼女はある方が、自分の一番わかってほしいことを理解してもらえ、とても気に留めてくれているということがわかったので、とても穏やかになれた という。その気持ちはとてもよくわかった。子供のころからの枯渇した部分が満たされたのではないだろうか。人間は案外単純なものだ。
「もふもふのしあわせ」と私は呼んでいる。何十憶なんてなくても人はしあわせを感じることができる。一番ほしいものを与えてくれる人に出遭えるかどうかなのだろうな。