どんよりとした空から雨が落ちだした。すっきりしない1週間の始まりだ。昨夜は教会のお友だちのところで、豪華にすき焼きだった。久しぶりにゆっくり話せた。お嬢さんも一緒に食事をした。お嬢さんが高校生のときにご主人と結婚された。だから「T子さん」とお嬢さんと呼び、お嬢さんは「はは」と言っている。(私のことは、彼女は「まっちゃん」と呼ぶ。)お嬢様が近くのマンションに帰られてからの話だが、教会のお友だちが訪ねてきて話を聞いてほしいと。涙ながらに話したことは、息子さんが顔面のがんだと話だったそうだ。
彼女はその場ではただ話を聞くことしかできなかったという。周りでできることは「祈る」事だけだから、「祈れる」人に祈ってもらいましょう と翌日話したという。彼女は初めて自分の子供が病気ということが、どんなに親につらい悲しみか知ったという。それは配偶者とは違う という。
彼女の妹さんが子供のころ腎臓病でそれこそ生死の問題のときもあり、ずっと病院に入院していて、お母さまが付き添われていたそうだ。その事実は、たいへんだろうと思ってはいたが、この年になって初めて親の気持ちがわかったという。どんなに父も母もつらかったことかと。彼女は子供のころ、とても寂しい思いをしてくらしていたそうだ。自分のためにしてくれたことだろうが、父親が連れて行ってくれた動物園の砂利道しか覚えたないという。そして、病院の黒い廊下の油のにおいが大嫌いだと。ご両親は妹さんをタクシーでその動物園へ連れていっていたそうだ。そんなこともなんと不公平と感じていた。
どんな思いで両親が妹を育てていたか、やっとわかって涙が止まらないという。その話を聞いて、私も自分が病気したときの親のこころを初めて知った気がする。