1日、和室で仕事をしていると、さすがに足が痛い。椅子の生活に慣れているせいなのだろう。お盆のころ関東へ出かけるので、切符を取りに行った。お盆休みより1日早く上り方向になるので、なんとか取れた。駅まで15分くらいだが、焼け焦げそうだ。京都は38度を超えたという。これでは生活に支障があるだろう。ご近所のおばあさんをお医者さんにでも連れて行ったのだろうか、ご主人と奥さんが必至で車いすを家に入れていいる。おばあさんもこの暑さでだいじょうぶなのだろうか。
私が感じるだけなのだろうかと思うが、あさドラの二人の結婚がなにか不自然だ。二人は涙は流しているが、悲しみの涙も、喜びの涙もなにか伝わらない。本当に死ぬほど愛しているの?と問いたくなる。役者の力量が足りないのか、ああいうのが普通なのか、今の時代と違い、まだあの時代の結婚は走って相手の胸に飛び込んでいったような気がする。覚めてはいなかったと思う。女性は25歳では結婚が遅い時代だった。男性も28歳では遅かった。これは脚本のせいかな とも思う。こういう主人公を描きたかったのかもしれないが、やはり、恋愛ものは北川悦吏子さんのほうがうまい気がする。もがくような苦しみが伝わらないからだろうか。結婚を賭けた恋って違うような気がする。
私の恋が苦しかったからだろうか。気持ちのすれ違い、お互いに伝わらない想い、若さゆえに素直に気持ちが伝えられない苦しさ、そんなたくさんの不安があったように思う。「あきらめ」もあったなぁ。自由のようで自由でなかった時代でもある。
苦い思い出もあってよかった と思う。今頃になってしみじみと相手の想いがわかる。「大事に想ってくれていたのだ」と。2番目に好きな人と結婚するといいのよ という言葉もあった。これもわからなくはないが、「愛とは後悔しないこと」だと思う。後悔しない結婚がいい と思う。全部 あおくないと。