九州の水害がひどいようだ。佐世保駅が水に浸かっているなんて。長浜も1日中雨が降り続いている。車も少ないのか静かだ。どこかが悪いのかと思うくらい眠った。お昼近くになると元気になったところをみると、疲れらしい。ノートパソコンを下を向いて長時間打っていたのも悪いらしい。本当に情けなくなる。
今日も「結びの文化」の原稿を書いている。まとめるのが大変だが、おもしろい。掃除やら買い物やらを混ぜて長時間パソコンの画面を見ないようにしている。ぼんやりと雨の音を聞きながら、働きすぎた人生を振り返る。どこをとっても頑張りすぎている。「無理」とわかっていても挑戦していた。自分の時間も金銭も惜しげなく使っていた。これはつかれるは。
湖北の仏さまを見たこと、琵琶湖に沈む夕日を見たこと、そして、いますんでいる住まいを見たこと、そんなことが長浜に来た理由のように思う。村民が守る社でみた木製の一本彫りの仏さま。なにか京の仏さまとは違うあたたかさがあった。「大丈夫よ」と言われているようだった。真っ赤に沈む晩秋の太陽もあたたかかった。築40年近いこの借家も木のぬくもりがある。
自分を置き去りにしてきた今までの人生。「癒し」や「あたたかさ」やこのぶろぐのタイトル「ぬくもり」が必要だったのだろう。「もう、休んでいいよね」「何度言ったらわかるのだろうか」そんな感じにもそろそろ終止符が打てそうだ。