玄関を出ると、雪が舞いだした。今日は、陶芸教室に行けるのに・・・。長靴を履くほどでもなさそうだ。サラサラの雪なので傘は差さなくてもいい。ふる~いお話だが、学生時代の演劇で雪のシーンがあった。指導の北国美人の先生が服に積もった雪を「雪は払わないで叩くのよ」と注意された。未だにこれが粉雪を見ると思い出す。
久しぶりに陶灯ではなく、友達に頼まれることの多いコーヒーカップを作った。ちょうど1年前に苦戦しながら作ったのに比べると腕は上がった。というか、直し方がうまくなって丁寧になった。教室が終わって外に出ると、雪が舞っていた。少し歩くと、あれ?私はどこにいるのだろう? と不思議な感覚になった。雪の精のいたずらだろうか。からだだけこの雪の世界にいて、こころはここにない。私のこころはどこへ?雪が強くなってきた。
時間を切られた仕事が一段落した。今日、明日は読書と手芸でもしようか。本を机に座ってゆっくり読めるのも久しぶりだ。三浦綾子の「利休とその妻たち」を読んでいる。おそらく昭和の終わり、平成の始まりの頃読んだのだと思う。そのやや黄ばんだページが妙に懐かしい。
ときのいたずらだろうか。出逢いとは早かったり、遅かったりする。でも、三浦綾子さんはクリスチャンなので、それも神のお計らい と言っている。遅くてよかったことのほうが多い。それは回り道をした分、様々なことを考えられたからである。その強さ、そのやさしさ、そしてその純粋さも・・・。