昨日はきものを着て曳山祭りに出かけられた。この町をきもので歩きたいとずっと思っていたのでうれしかった。子供のころからのお祭り女、血が騒いだのだろう。しばらくきものを着ていないわりには、うまく着れた。着付けでご飯を食べていくつもりだったのだから。でも、一人できものの仕事をして、生計を立てるのはとても難しかった。だれかスポンサーをとは思わなかったのが、失敗か???
お友達は、20代の終わりに恋に落ちた。彼女はピアノを教えたり、レストランなどでピアノを弾いていた。その時、レストランのお客さんと親しくなった。お相手は40代の初めで、今なら袋たたきに遭う妻帯者だった。彼も、彼女に夢中になった。会社の経営者で時間とお金が自由になったので、旅行にも行ったし、彼は彼女にお金を渡すようになった。初め彼女はそのお金を使わずにためておいたという。ピアノの仕事が減り、そのお金が生活費なるようになったという。それが十年も続けば、抵抗なくお金を受け取るようになるのだろう。彼女は「奥さんはお金で結婚したの、でも、私は愛なの」と自分に言い聞かせたという。
「愛だ」「心だ」と言っても、自分では気がつかない心の深層で「お金」がベースでお付き合いを決めているかもしれない。意図的にお金持ちを(お金をだしてくれそうな人)選んでいる人も多い。それは賢い生き方だ。そして、人の気持ちは変わるから、「お金なんていいの、あなたがいてくれれば」になるかもしれない。
一般人なら、寝物語になる話も、そうはいかないケースもあるのだろう。だから、そっとしておくしかないと思う。どうにもならない、人の心もある。