三が日はのんびりして過ごしたいと思っていました。年末の疲れが想像以上でした。そこへ雪が降ったので、赤く可愛い長靴は重くて歩くと疲れるし、力がついたとは言え、雪退けはかなり体力が要りました。コロナワクチン接種後悩まされた蕁麻疹も再発しました。という正当な理由?で、ほんとうにぐうたらな三が日でした。こんなにのんびりできたのは、初めてではないでしょうか。だれも言ってくれないから、自分で「いままでよく頑張ってきたね」と慰めました。
今日には投函できるはずの年賀状もあと少し残っています。敗因は昨夜YouTubeで音楽を聞こうとして、しばらく開けていなかったノートパソコンを開いたら、「冬ソナ」のタイトルが目に入ってしまいました。一話だけがとんでもないことになりました。でも、やはり時々「冬ソナ」の世界は必要なようです。
その時によって「冬ソナ」が必要な理由は違うのかもしれませんね。泣きたいときもあるでしょうし、自分のこころを確認した時もあるのだと思います。
自分ではどうすることもできないことを(例えば、ユジンさんのように忘れられない思い出があること)「そういうものなのだ」と否定せずに生きることを確認したかったようです。人と人は理屈ではなく結ばれているのではないでしょうか。私はそれは神様のなさることを受け止めることにしました。ユジンさんのように素直に生きていけばいいのではないでしょうか。
今夜ももう少し「冬ソナ」の世界に入ろうと思います。たくさん降った雪がいけないのかもしれませんね。
宛名書きで あなたとわかる 年賀状 (字余りでした)