衝撃的な事件が起こり、各報道番組が安倍晋三氏の惜しんで様々な姿を放送しています。私の中で、まだよく記憶に残っている安倍氏の姿があります。もう、かれこれ15年以上前のことでしょうか。文京区の本郷通のように記憶しています。選挙期間中か、安倍氏の選挙選挙運動カーが通るときでした。「シンゾウサ~ン!!」の声がしたのは、近くの有名女子高の生徒たちからのでした(制服でわかります)。15名以上いたと思います。下校時間だったのかもしれません。えっ!女子高校生にも人気があるんだ!とびっくりしました。にこやかに手を振って声援にこたえていました。
今日は凹んでいます。ごミサの若いソ神父様のお話です。暑いので、お説教も短くされているので、大事なところでバッサリ切られました。「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉です。ある立法学者が「では、私の隣人とはだれですか?」とイエスに尋ねました。あるサマリア人が追いはぎに遭い衣服を取られ、半殺しにされて立ち去られたときに、そこを通った2人の人は、その人と反対側を通りすぎていったそうです。通りかかったサマリア人が憐れに想い、傷の手当てをして宿に連れていき介抱して、翌日宿の主人にお金を渡して介抱を頼み、費用が不足したら帰りがけに払うと言ったそうです。イエスは「さて、あなたはこの3人の中でだれが追いはぎに襲われた人の隣人になったか」と尋ねたそうです。
私は最近、自分の正義で「それは許せない」と人を非難していました。ただそれではいけないから許さなくてはと(キリスト者として)その折り合いを考えていました。彼女は私に助けを求めたいたのだと今日気が付きました。それは私の正義では不条理でしたが、彼女にしてみれば何とか助けてだったとわかっていても、そのわだかまり(自分の正義)はすぐに対応できませんでした。私が隣人にならないと・・・。
自分の正義だけでは生きられない。前にも思いました。色々な自分の正義が強くなると、傷つけられる人が増えてしまう気がしました。