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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 聖なるもの

2017-12-14 22:16:23 | 日記
 朝の遅い私はあまり寒さを知らない。車のフロントガラスが凍り付いてお湯をかけて溶かした などフェイスブックにUPされている。我が家は黒いセーターを着ていたら、暑いくらいだった。今日は心がざらざらしていた。昨日から腹立たしいことがあったからだろう。そうやってあなたは無責任に何事も過ごしてきたのね、まぁそうできたのはしあわせですね と妙に覚めている。そこにプラスして、わざわざ年末忙しいでしょうからと早めに予定を決めたのに、変更してほしい という。一つ変更すれば他も変更するのよ、私は暇そうでも暇ではないの とこれまた機嫌が悪い。さらに、午前着の荷物が14時でも届かない。年末でいくらか遅れるとはいえ、2時間も待てない。営業所に電話して急いでもらう。アルバイトらしいおじさんが荷物を届けに来た。伝票には『AM必着』と書いてあるが、おじさんは『AM
』が午前中とはわからなかったらしい。文句も言えない。

 こんなことで腹立たしく思う自分も情けない。自分のものさしで測ってはいけない と思いながらついつい違うものに腹を立ててしまう。ただ、相手に声をだして責めることはなくなった。心の中でだけつぶやいている。2日もすれば、すっかり忘れられるからだ。

 「聖なるもの」という言葉がある。仏教では「清いもの」と「穢れたもの」という考えがあるというが、キリスト教は「清いもの」も「穢れたもの」も含めて「聖なるもの」というそうだ。聖書では「徴税人」と食事をするイエスが出てくる。「徴税人」は嫌われていた人たちだ。

 自分の正義だけで人を判断したり、裁いてはいけない と思う。面と向かって裁きはしないが、心はまだ貧しい。

 

 
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 温泉へ

2017-12-13 23:30:47 | 日記
 家を出てから14時間後に帰宅しました。母の通院日でした。今まで出来ていたことが出来なくなっていたり、日常生活はめちゃめちゃです。かろうじて施設に入らずに生活しています。小規模多機能サービスの馬渡さん家の方が面倒をよくみてくださるので、なんとか同居しなくても済んでいますが、それも時間の問題でしょう。この先はどうすることも出来ません。そんな家族も多いのではないかと思います。私などは母以上に深刻です。永らえば・・・という感じです。それでも、母は馬渡さん家で洗濯物をたたんだり、料理のお手伝いをしたりして生きがいを持って生活しています。みなさんが親切でうれしいと喜んで通所してくれます。それが何よりの救いです。

 そんな母が病院の帰りに通った駅の前で、「ここから電車に乗ってどこか温泉に行ってのんびりしたいね」と言いました。えっ!?という感じでした。歩くのもだましだましの母が電車に乗って出かけたい・・・・。そうか、母ものんびり出来る時がほしいのだ と思いました。親子二人で旅行したのは京都へ行っただけでした。出来るだけ近くて、駅のすぐ近くに温泉のあるところに、来年は行こうね と返事をしました。そんな母を無性にいとおしく思えました。なにも気が付かなくてごめんなさいでした。

 

 
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言葉の威力

2017-12-12 21:25:18 | 日記
 日本海側では大雪で20センチもつもっているとか。湘南は今日も暖かい日でした。何年ぶりかにお弁当を作って、サッカーのグラウンドへストレッチ体操だけしに行きました。70歳以上の元気なおじいちゃんたちの練習会です。(そんなに年は違わないのですが)おにぎりと簡単なおかずだけですが、なにかピクニックにいくようでした。青空の下でのストレッチは心も伸びやかになりました。

 今朝の新聞で、ノーベル平和賞授賞式のサーロー節子さんの講演の内容を読みました。昨夜のニュースでも聞いて、感動していました。85歳とは思えない力強い声はその思いの強さを表していました。最後は会場全員のスタンディングオベーションでしたね。その時に聞かれなかった言葉が新聞にありました。「小さな身体は、何者か判断できない溶けた肉の塊に変わってしましました」(4歳のおいごさんの死)なんとすごい表現なのでしょうか。すごいはいいときに使う言葉ではないと聞いたことがありますが、まさに「すごい」です。それは見たものでしか表現できない恐ろしい表現です。この魂の叫びを日本国中、いや世界中に全部流してほしいと思いました。「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」と。

 「罪」にわずかな望みが見られるが、「悪」には何も見出せず破壊のみある というようなことを遠藤周作さんが書いていました。「悪」という言葉が正しく使われた気がします。

 この講演の内容を言葉を考えに考えた と言われました。まさに言葉の持つ「ちから」を感じた講演でした  
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 職業欄

2017-12-11 20:04:29 | 日記
 今朝は外に出ると、生暖かい風が吹いていました。やはり湘南は暖かいなぁ と思っていると夕暮れになると急に寒くなります。日が沈むのも早いですね。冬至が22日だそうです。夜が長いわけです。

 季節の行事も減ってきました。冬至にゆず湯にはいるとかやかぼちゃを食べるとかも段々消えていきます。地方では違うのかもしれませんが、年中行事は少なくなりました。お正月に向けて、家の掃除をしたり、少しずつおせち料理の準備をすることもなくなりました。

 最近はなにかとカードを作らなくてはならないことが多いです。困るのは職業の欄。困るというよりは悩むというのか、「会社員」は違うし、「主婦」も微妙。でもいい、「主婦」が。今まで書いたことがないんだから、せめてあと何年かはわからないが書いていこう。ホテルでの旅行の目的も困ります。「ビジネス」は違う。「観光」?違う。「ボランティア」がいいのですが、観光もあるし・・・。要は「遊び」なのですね。ずっと働いてきたお友達も同じように悩むらしいです。だいたい「無職」ということは、申し訳なくて肩身が狭い と言います。

 「主婦」は職業ではないのでしょうか?いや、立派な職業だと思います。私などはど素人の主婦ですから。

でも、働かずに家にいる専業主婦の方は、この時代は肩身が狭いと言います。何でも、そのときの少数派は肩身が狭くなります。ずっと独身でした、子供がいません、クラス会などに行きにくくなるそうです。

 少数派でもいいではないですか。私など超少数派です。でも、神さまがそう生きるように導いてくださったのです。いま、暖かい部屋で、あたたかい食事がとれて、あたたかいお布団で休める、それはいままでの人生があったからと思えます。一番私に合った人生だったのではないかと思えるのです。

 

 
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 触れもせで

2017-12-09 22:28:56 | 日記
 予定達成! という感じでパソコンに向っている。今日は軽いクリスマスソングのジャスが流れている。

 先日、友達とランチに回転寿司に入った。めったに行かない二人は受付のところからと惑いながらお寿司を食べた。「佐藤愛子さんも言っていたけど、IT化が進むと本当に馬鹿になるわね。スマホをそんな便利なもの馬鹿になりますは 正しいわね。カードでなんでも支払いが出来るのは便利だけど、お金というのはお札が10枚という感覚がなくなるのは恐いわね」と友達は言う。お金が減っていくという(使った)感覚が無くなるのは恐い気もする。

 そんな折、今朝NHKで電子マネーの話をしていた。海外から来る人たちはスマホでの決済が便利なので、そういう店を(システムを)増やしていくのがいいという意見と、日本人はお年玉にしても、祝儀・不祝儀にしても袋にお札を入れて渡すというような習慣があるから、お年玉が電子マネーとは・・?という意見だった。

 たしかに現金を必要としない(特に小銭)システムは便利なことも多い。新幹線も飛行機もスマホが便利だ。もはやスマホがないと損をする感じもする。昔、マンションを買ったときに、100万円というお札の束がいくつも目の前にあった。(あれが最後だが)その束で自分の買い物の大きさを知った。そういう量感を感じるのは必要に思う。本もそうなのだが、電子書籍を好きでないのは、残りのページの感覚がないことだ。あと、どのくらいか紙の枚数で感じることが出来る。読み終わった達成感もそうだ。量に対する感覚は必要だ。

 「触れもせで」は久世光彦が向田邦子との思い出を書いた本のタイトルだ。SNSの人間関係が「触れもせで」のように、電子マネーはお金に触れることはない。「触れない(触感のない)人間関係や金銭の関係でいいのだろうか? と思う。無くしたときの大きさを知ることもできない。もし、「触れもせで」で関係がうまくいくとしたら、それは長い年月と想像力とさらに第六感(霊感)が必要だろう。

 あと10年したら、20年経ったら、退化する脳の部分はないのだろうか と心配なのは私だけだろうか。

 
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