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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

より大きく、より深く

2018-07-15 17:38:21 | 日記

暑い!朝起きると29.4度。まだ、風があるので体感温度はやや低いが、一度気温と湿度を下げないと無理そうだ。でも、腰と足が痛くない。これ以上は手当てできないというほど、消炎剤をつけた。見事に治った。原因はやはり歩きすぎではなく、パソコンの前に座り過ぎらしい。朝のお祈りが終わると、こころが晴れた。足腰の痛みのせいあったが、かなり参っていた。

読みたいドラマの脚本があったので、探しに出かけた。そこで懐かしい冊子を見つけた。夫といる頃は、毎月二人で読んでいた。ある女性の名前を見つけた。新人賞を受賞している。写真も出ていたので、間違いなく彼女だった。シナリオは自分がとっくに棄てたもので、うらやましいとかはなかった。でも、その背景にあるものが、私を責めた。偉い!貫き通したんだ。でも、私はもうそんなところにはいないのよ、といういやらしい言葉がこころに浮かぶ。そして、段々落ち込んでいく。私は何をしているんだろうと。

「より大きく、より深く」生きよう。今の自然災害にいままでの常識が当てはまらないと いう。そうなんだ、そんなことと比べてはいけないけど、ここで越えていかないと 何も出来ない。

そして、今日、珍しい方から、電話があった。母と私の共通の知人だ。時々、母を訪ねてくれていたらしい。実家の電話が使われていないので、びっくりしてかけてきてくれた。何年も話していなかった。認知症の母が、私ががんとか介護で大変な人たちのために、がんばっているらしい と話したそうだ。うつくしいみどりを見たようだ。

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わたしが・棄てた・おんな 森田ミツ

2018-07-14 19:29:47 | 日記

 岐阜や京都では40度近くになっとという。被災地のボランティアも熱中症が心配だ。夕方、買い物に出ると夕焼けがきれいだった。あまりこの時間に外にでないせいか、久しぶりにみた夕焼けのような気がする。そうだ、熊本で見た夕焼けはきれいだった。そのとき、バスの運転手さんもこんなきれいな夕焼けは初めて見たといっていた。家に戻ると部屋が暗かった。

足腰の痛みがよくならない。夕方のネットのニュースで安倍首相が股関節周囲炎とあった。不思議に今日はやたら眠れるブタであった。午前も午後も眠った。歩くとよくないので、身体の自衛本能なのだろうか。ごろごろしながら、遠藤周作の「わたしが・棄てた・おんな」を再読していた。主人公の森田ミツの生き方を振り返っていた。ある男性を好きになり、彼には遊びにすぎなかったのに、捨てられてあちこちを転々とする。この転々としていく様子を覚えていなかった。ただ、流れるように、人のために身を落としていく。それでも明るく生きている。ハンセン病で隔離入院するが、誤診とわかる。それでも彼女はそこに残り患者たちに献身的に奉仕する。そんなある日、交通事故でいのちを落とす。

その彼女が最後に口にした言葉が「さいなら、吉岡さん」だった。吉岡は彼女を捨てた男性の名前だ。以前読んだときよりも、このミツの生き方が心に突き刺さる。右の頬打たれたら、左の頬も打たせなさい、では人の孤独は満たされないのではないだろうか。「エロス」は自分を幸せにしてくれるものにむかって燃える愛 と森一弘司教はいっている。そして、人間の孤独の解決には「エロス」的な出会いと発展が必要だといっている。

暗い部屋に明かりをともした。私は最期にだれに「さいなら」と言うのだろうか

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そして、ははになった

2018-07-13 19:06:45 | 日記

パソコンに向いすぎか、使っていた腰痛予防のクッションが悪いのか、右の腰から股関節から痛む。立ち上がると腰が伸びない。おばーさんだ。歩くと楽になるので、のんびりと散歩に出た。汗ばむ頃には、痛みが軽くなった。運動公園は、いまは何も花がない。深い緑がうつくしい。

今朝、教会のお友達が母にお花を届けてくれた。忙しい人で、スペインへ巡礼に出かけるときだったので、母が天に召されたことは知らせてなかった。薄紅色の胡蝶蘭だった。母の話はしていたが、写真も見せたことがなかった。母の73歳のときの恋する乙女の?写真を見て、「まぁ、きれいなお母さん。」と。桜の下で微笑む彼女の写真はそのときのデートのお相手が撮ってくれたものだ。彼女がお祈りをしてくださった。「お母さん、よかったね」と、涙が出た。

私の知らない父方の親戚の方や母のお友達から私に手紙が届く。その点を結ぶと、私の知らない母の姿が浮かび上がってくる。なにごとも精一杯努力していた明るく前向きに生きていた母。時には童女のように素直に振舞っていたようだ。そして、パンの花や書道の先生としての姿も。

叔母たちには「ねーちゃん、かあちゃん」と言われていた母。確かに、母親としてのイメージは少ない。でも、みごとなくらいに使い果たした貯金よりももっと豊かなものを私に残してくれた。豊かな母の姿だ。そして、私のきものの管理や洋服の管理もいつもしてくれていた。おおよそ、縫い物というものはいくつになっても頼んでいた。子供のころと同じように可愛い刺繍を入れてくれたりしていた。

「そして父になる」という映画があったが、母は天国で「母になった」ようだ。

 

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 父の紫陽花のひと

2018-07-12 18:44:48 | 日記

今日でお中元やら母へのお悔やみへのお返しなどが一段落した。お世話になっている方が多いことを痛感する。夕方になると冷たい風が部屋にそっと忍び込んでくる。心地よい。

京都の退蔵院で見た、西条八十の詩が心に残る。「今ここに こころとなりて 永遠に寄り添い眠る」「こころとなりて」・・・・。深い言葉だと思う。父が西条八十に師事して詩を書いていたらしい。いわゆる、大正ロマンのイメージだ。残っていた写真に、矢羽のきものを着た素敵な女性もいた。ベレーか被った文学青年だった父の姿もあった。

あれは中学の頃だろうか、父の俳句が文京区の俳壇で賞を取ったのは。そのとき、紫陽花の句も読んでいて、紫陽花に昔の人を思い出すというものだった。父はずっと人妻を愛していたらしい。(結婚するまで)それがどうも八十さんの歌の集まりの人らしい。なんでそんな話を父が私にしたかはわからない。母は知らないらしいし、知ったところで、彼女の自信は揺るがなかったと思う。父は、弟が軍隊で自死したので、戦後、結婚したのではないかと思う。それまで何回もお見合いをして、断っていたという。会社もやめ、祖父の仕事を継いだらしい。母は美人だし頭もいい人だった。9歳も年下だし、父は祖父母のためにも全て捨てて結婚したのかもしれない。

「短き時を愛に生きし二人」という八十の詩の二人は妻の春子さんとことだと思うが。今、父の話してくれた紫陽花の人ことを思い出した。音楽も文学も実に博識だった父。紫陽花の人の話、聞いていてよかった。

 

 

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いま、なにができるのか

2018-07-11 21:06:25 | 日記

 月曜日、京都から帰りに隣の大磯駅を通過したとき、カナカナの泣き声が聞こえた気がした。まさかまだ7月の初めなのに。今日、暑い午後に郵便局に出かけると、ミーンミーンとセミが鳴いている。季節が早すぎておかしい。やはり月曜日はカナカナが鳴いていたのだろう。それでも、今年は5月ごろから暑い中外で運動や写真を撮影していたので身体が暑さに慣れているらしい。汗が気持ちよく出る。

岡山や広島でこの暑さで、被災地は土砂を片付けているとしたら・・・。水も少ないという。食べ物も痛みやすいし、避難所も暑く、生きた心地がしないだろう。毎年、こんな災害が増えてくるとしたら・・・・。TVでたけしがさらりと「温暖化が原因だな」と言った。報道は各地の被害状況は放送するが、根本的なことは自然災害で終わっている。

今は子供たちに勉強を教えていないが、自然災害に関して、理科の教科書などがかなり詳しく取り上げている。私などより、子供たちのほうが自然災害に関して、聞くことが多いのではないだろうか。ある教え子が二酸化炭素を減らすためにしたことを毎日点数化していた。学校からか市からだったと思う。わかりやすい表だった。

のんびりとエアコンの効く部屋で過ごせるのは申し訳ない気がする。京都の祇園祭は、890年頃、全国で地殻変動が続き、社会不安が深刻化する中、諸国の穢れを祓う、御霊会を執り行ったのが始まりだ と聞いたことがある。キリスト教でも「悪魔」を追い出すというような行為がある。穢れをはらうだけでなく、なにかできることはないのだろうか・・・・。夕方教会へ出かけた。「祈り」と「義捐金」しか出来なかった。

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