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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

選択のくるしみ

2019-11-20 17:54:18 | 日記

晩秋を感じるいいお天気の日だった。お友達からの連絡を待っているが、来ない。明日1日の動きも違うので、簡単な連絡だけは欲しかった。「OK]でも「NO」でもいいのだ。まぁ、彼女らしいが、私だからいいがほかでは困ることにもなる。今日もパソコンとお友達だった。メルアドの訂正とわからない項目を調べていた。まず、これをしないと と優先順位をつけた。

何が大事で、なにからしていくか?という選択は難しい。今日、私は仕事ではなく、写真を撮りに出かけた。解体していた古民家の壁にツタが紅葉していてきれいだった。真っ赤な鮮やかな葉っぱだった。通るたびに押し葉にするのに何枚かずついただいていた。ところが、昨日通ると壁はなかった!ああ、明日でいいや と思ったのが悪かった。時とは残酷だ。

夕方になって映画「ソフィーの選択」を思い出した。毎日毎日の選択があって、いまの自分がある。なんとまぁ たくさんまちがえたものか。映画ではナチスの捕虜になったソフィーが二人子供のうち一人を助けてやる と言われる。男の子と女の子だった。この場面を今も鮮明に覚えている。人生の選択はこんなに深刻なことはないだろうが、自らの選択に苦しめられることもある。若い時はずいぶん苦しんだ。

いま?サイコロを転がせばいいの と言える。自分が大事だと思っていても、大したことでないこともある。そんなことより、自分がやりたいことをすればいい と思う。飽きてしまおうが、失敗しようが、成功しようが、自分の選択なら堂々としていれば、いい。(なんちゃって)私はキリスト者で大事な人がいる。だから、選択肢は簡単だ。神の道に背かないこと、大事な人を最優先にすること。

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こりないあきない女

2019-11-19 18:09:07 | 日記

この地域の天候なのか、今日も天気雨が降る。琵琶湖に近いせいか家の近くは降っていることが多い。そして、夕方は時雨のような雨になった。そうだ、「時雨の記」という吉永小百合さんの映画があったなぁ。どのようなあいであれ、愛する人の見守る中で天に召されるとはしあわせだと思う。

どうもエンジンがかからず、ぐたらをしている。それでも休むと血圧が下がった。あれはストレスだったのだろうか。階段から落ちた痛みが今頃出てきている。それとも陽気のせいか?しぶしぶ夕方から新しいパソコンのアドレス帳の訂正をしだした。パソコンを変えたときに(Windows7から10)、やってもらったのだが、表示がおかしいので全部訂正だ。単純な作業で忍耐がいる。ほとんどの人は思い出せるが、さて、この人は?という人が何人かいる。たしか6年前くらいに千葉でお会いした・・・というところまではわかかるが、お顔がいまひとつ浮かばない。そんな風にお一人お一人を思い浮かべているので、あまり早くは進まない。

夫と別れてから、仕事で知り合った人、ボランティアで知り合った人、ああ、みなさんに助けていただいたなぁ と思う。そんなメルアドだ。手紙やはがきもまだ捨てていない。洋服やら食器はばんばん捨てられたが、これはまだ捨てられない。きれいな絵ハガキやらがたくさんある。メールもそうだ。取っておいても、状況や関係は違ってきていているので仕方ないのだが、捨てずにあるメールがある。これは最期にだれかに託すしかない。

来年は取材で海外へいこうと思っている。体力があるかだが・・。「人生最後のアメリカ旅行かもしれないから・・」のメールが来た。えっ!なにを! とまた行くわよ になる私。ほんまかいな?こりないあきない女だと思う。

 

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もえつきても

2019-11-18 18:12:47 | 日記

朝外に出るとあたたかく気持ちがいい。ああ、今日はどこかへ出かけたいなぁ と思う。でも、1時間もしないうちに曇りだした。そうだ、今日は傘マークだった。わけのわからない朝のTV番組を見ていた。エリカ様の話、それはもういいよね。きっと心がどこかで壊れたんだよ。そして、夕食会のお話。こんな話題をいつまでやっているのだろう。香港の情勢を聞くと、この国は(日本は)どうなっているの?と思う。それと関連して思うのは、大学入試の記述問題のこと。確かに記述は必要だけど、なにもアルバイトを使って、事前に問題を知らせるなんて??それって入試?この国の教育の貧困さを先日やっていたが、私が10年まえに放送大学で学んだころから何も進歩していない。eラーニングとかこのIT時代にそういうシステムが導入されないこともおかしい。(私学でできているようだが)

久しぶりに批判のぶろぐを書いてしまった。長寿社会もいけないのかなぁ なんて思う。「蹴る」の映画ではないが、自分の寿命がわかることはある意味で幸せかもしれない。医師が「がんで死ぬほうがしあわせだ」と言っていた。余命がわかるからだ。筋ジストロフィーの選手は、好きなサッカーを続けるために胃ろうを選択する。私が心が動いたのは、改めて考えるとここなのかもしれない。

残されたいのちを使い切るとしたら・・・。ぼーっと生きてるんじゃないよ、と言われた気がした。前にも何回か書いたが、この映画と琵琶湖に沈む大きな真っ赤な太陽が重なったのだ。せめて、最後くらい「好きなようにさせてよ」なのだ。

長浜が最後の地となるだろう。そして、最後まで「好きなこと」を守り続けていこう と思う。

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エプロンデー に

2019-11-17 16:31:34 | 日記

昨夜は帰宅後、親友と長電話。ぶろぐを更新して休んだのは今日だった。朝まで久しぶりにぐっすり休んだ。NPOの年間取材や行事が昨日の上映会でほぼ完了した。今日はコタツっ子になると決めた。いや、エプロンおばさんだ。家の中のこと以外はしない ということだ。それも最高に手抜きで、自分のやりたいことだけ(あまりない)することだ。熊本空港で求めたラーメンをたべること、美味しい和菓子でお茶を飲むこと、あとは洗濯と買い物。NPOのことなど考えないこと。目標を達成(そんなおおごとではないが)したので、あとはコタツっ子だ。この平和?が欲しかった。

昨日の上映会の失敗は尾を引いていた。きちんと打ち合わせをせずまかせっきりだったので、せっかく来て下さった監督には失礼をしてしまった。逆の立場なら、私も不機嫌になる。でも、これは無料ではなく、きちんと対価をお支払いしている。そう考えると、不機嫌な顔はしてはいけないなぁ とも思う。私は、100人来て一人でもその作品に感動して(何かを感じて)くれたら、それは大事に思わなくてはならないような気がした。

「感謝」という言葉がすべてのように思う。この上映会ができたのは、企画してくださった人たちがいたこと、そして、支援者の寄付があるからできること、上映をOKしてくださった監督がいたこと。「感謝」イコールすべてを「許せる」ことのように思えた。だから、聖書の話になるが、100匹の羊の1匹が迷ったら、探し出して喜ぶことなのだろう。その1匹を大事にすることが(どんなに小さなものでも)人生を大きな喜びに変えていく気がした。

つまらぬことを考えた。エプロンおばさんはコインランドリーにてくてく歩いて重い洗濯物を持って行った。「わが人生みたいだ」なんてグチグチ言いながら。でも、気が付いたのです!帰りの道はあたたかくて倍くらいになったか~るい洗濯物になることを。今は帰り道を歩いていると思う。

完全にOFFの私。いいなぁ。やるだけのことをやりきった満足感とこの開放感。夜は冬に向けてやりたかった編み物でも始めよう。エプロンデーは私の日であり、大事な人の日でもあるようだ。

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秋晴れのちいさな上映会 

2019-11-16 23:55:54 | 日記

いいお天気だった。神奈川から東京を通り越して海浜幕張まで出かけた。山手線が初めて止まっていた。東海道線も人が少ないし、東京駅もいつもほど混雑はしていない。それでもディズニーランドへ行く家族ずれや若者が多い。「蹴る」という電動車いすサッカーの上映会だった。会場はこぎれいなコミュニケーションスペースだった。

こぎれはよかったが、天気が良すぎて会場が暗くならない。せっかく来て下さった監督はがっかりしている。画像が全然違う。そうか、会場を見に来たときは夜だった。ちょっと不機嫌な監督が「新聞を窓に張ればなんとかなるかも」という。朝の新聞がある。会場の不備で申し訳ないので、ともかく貼り出した。朝刊だけでは貼り切れず新聞を受付でもらってきて貼り出したが、大きな窓なので結構大変だ。監督も手伝いだした。ああ、不機嫌が直ってくれた。

事前の申し込みの人が、天気がいいせいかキャンセルしてきた。集客は私の責任ではなかったが、また申し訳ないが増えた。開始時間を30分すぎてやっと上映会が始まった。地元のサッカーチームの中高生だった。練習後、お昼を食べての映画鑑賞は気の毒だ。この重度の障がい者のドキュメンタリー映画はこの子たちには大変かもしれない。約2時間・・・。

子供たちはよく耐えて観てくれた。男の子たちなので、男子のプレーヤには興味があるらしく、よく見ていた。ワールドカップといわれる世界大会の模様も身を乗りだして見ていた。監督との15分ぐらいの質問時間を過ごした。最後にキャプテンが「自分たちのしらないサッカーの世界を見ることが出きてよかったし、通じる思いがあってうれしかった」ということを述べていた。

ときどき思う。私はこのようなボランティアをしている身分ではないのに・・・。でも、この子たちの心になにか残せるものがあって、いつかなにか思い出してくれたら・・・。それは私のお金が少しは生きたことになる。それでいいのだろうな。

 

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