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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

麒麟が来る

2021-01-21 17:19:10 | 日記

伊吹山が雪をかぶって一回り大きく見える。この山の姿はたくましく男性的だ。今日は暖かい日になった。ここ1週間くらいの気温の変化に体がついていかないのか昨日からめまいがしている。何か疲れもあるのだろう。近くの内科医へ初めて行った。風邪もひかないのでかかりつけ医がなかった。遠くへは歩けないので、一番近くへ出かけた。そこは内科医というよりは、腰やひざの痛い人の治療院のようだった。先生は私よりもご年配だった。それでもとても丁寧に問診してくださった。

薬が効くには3日くらいはかかる。今日はだいぶ楽になったが、あまり食べられないので体力が落ちてくる。薬のせいもあってよく眠れる。そんな時は弱気になる。過去の失敗までいろいろ思い出して、また自責の思いになる。「生きていていいのかな?」などとも思う。

でも、今までと違って、そこからはい出した。「あと2年もすれば、麒麟が来る」と。普段以上の不安はおそらくコロナウイルスからくるのだろう。でも、あと2年すれば、ワクチンも開発され、インフルエンザのようになるだろう。これを教訓に医療も介護も改善されていくだろう。一国では対応できないことが多いから、世界も少しずつ自国ファーストから、世界という大きなくくりで考えていくようになるだろう。地球を守ってくれる大きなベールのようなものができるような気がした。そう、それが麒麟だ。

あなたもがんばって!2年後を楽しみに!。

 

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一夫多妻制のおんなたち

2021-01-19 17:43:08 | 日記

朝、屋根に残っていた雪はすぐに消えてしまったが、1日中霰や粉雪が舞って寒い日だ。暖まると暖房を消すが、すぐに冷えてくる。日曜日のイグナチオ教会のごミサのお説教をウエブで見た。若い助祭のお説教だった。このコロナ禍のなかで、キリスト者としてどこにどこにとどまるのがいいのだろうか というストーレートな投げかけだった。

さて、話は全く飛ぶが、昨日冊子に載せるエッセイで横浜の三渓園の思い出を書いていた。雪を見ながら、雪にまつわる話だ。三渓園の一角に「横笛庵」があった。このようなところに女一人住んでいたら、どれほど心細かろう と思った。冗談で、前世は大原の里で比叡のお坊さんを誘惑していたのかもしれない などと話したが、この庵を見ると、タヌキやらも出てくるだろうし、来る日も来る日も人を待つのはどんなにつらかろうと 思った。

ちょうど、瀬戸内晴美の「私の好きな古典の女たち」読んでいた。額田王から始まり、源氏物語の女性へと続く。この一夫多妻の通い婚の時代、言い寄られ、心を許し、子を宿し産んで、そして、いつしか一人さびしく暮らしていく女性の姿が、この横笛庵に重なった。昔は、通い婚はいいとか、〇〇の女(むすめ)などという母系家族もいいのでは と思ったが、父親が権力者でも、その人生はたいへんなことだろう。人の通わぬ庵で何をたよりに生きればいいのだろうか。

ここで初めに戻ろうか。どこにとどまるいいのか?それは「愛」のある所なのだろう。コロナ対策の批判をするよりも、私のとどまるところは年老いて(私もだが)健康に不安にも持ちながらもけなげに生きる人や仕事を失い必死で仕事探しをしている人や身も心も削ってコロナと闘う人たちに寄り添うことのように思えた。それはこの家からでもできることだ。

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2色のそぼろ弁当

2021-01-18 17:16:15 | 日記

天気はいいが、気温の上がらない日だ。電気ひざ掛けのコントローラーが壊れて、電源が入らなくなって、もう4日経つ。それこそ10年以上もっているのだから、ご苦労さまなのだ。ひざ掛けだけでなく、敷毛布のようにも使っていたので、夜が心配だった。「買うべきか、買わざるべきか、それが問題だ」で4日経った。お湯を入れる湯たんぽにするか?などとケチな私は悩む。仕事にならないので、とりあえず、処分品になっていたニトリのひざ掛けを買ってきた。カイロがあれば、初めは少し寒くても、お友達からもらった高級布団なら朝まで過ごせる。乾燥しないので体にはいいかもしれないが・・・。

昨日は何もしたくないので、夕飯は2色のそぼろ弁当を作った。懐かしかった。子供の頃のお弁当だ。中学はお弁当だったが、自分で作っていた。ああ、わっぱのお弁当箱がほしい などを思いながら作った。紅ショウガが濃いピンク入りのでんぶが欲しいが、あいにく紅しょうがはなくなり、わざわざ買い物に行くのも億劫だった。毎日の野菜スープでは味気ないと、お吸い物を作った。あとはあるもので済ませた。自分で焼いたひらじゃわんに盛り付けてみた。貧乏生活もいいものだ。あるものを引っぱりだして使う。

コロナ、コロナで行き詰らないように、お昼前に琵琶湖へ出かけた。誰もいない。波も静かで、水の色がきれいだ。あのそぼろ弁当を持って来るのだった。桜のつぼみのすこしずつだが、膨らんでいる。もうすこしだよ!おばあちゃんも頑張っていた。

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ペアのコーヒーカップ

2021-01-17 16:12:07 | 日記

今日は寒いが晴れている。洗濯を済ませて、一段落してから三駅先の図書館に出かけた。

あと1冊読んでいないが、何冊か手元に本を置いておきたかった。長浜には最近できたきれいなコミュニティセンターの中に図書館があるが、木立に囲まれた重みのある高月の図書館が好きだ。ここへ出かけると「蔦のからまるチャペルで祈りを捧げた日・・・」の歌詞を思い出さす。古い歌だが、ペギー葉山さんが歌った「学生時代」だ。そのなかに、「秋の日の図書館の ノートとインクの匂い」ある。このイメージで出かけている気がする。

年のせいかつらい別れの話などは読みたくない。小説はどちらかというと平和な家庭では物語ができない。だから、小説というよりはエッセーにしている。帰宅して、のんびりと炬燵に入る。今日はなにか動きたくない。

こちらへ来て初めてだろうか、ペアのコーヒーカップを出してコーヒーを飲んだ。私にしてはぜいたくな器になる。あまり普段使いはしなかったが、今日は何かペアにならないコーヒーカップよりもこれで飲みたかった。淵のかけた食器は好かないのでどうしても一人ぼっちのカップが多い。大事に取り扱って今日からはこれを使おう。

冊子に掲載する交換エッセイの原稿が届いた。二人で同じようなテーマで書いていく。思い出すのは図書館の思い出。私の記憶は二十歳くらいで途切れて今になっている。高月の図書館にいると大事な人もカバンを抱えてやってきそうだ。もし私が歩けなくなっても、車いすを押してここへ連れてきてくれそうだ。

「ずっとここにいさせてね」そう素直に言えそうだ。

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トライ!トライ!

2021-01-16 17:10:56 | 日記

寒さは和らいでいるが、午後からは不安定な天気になった。5分も歩くと激しく雨が降り出す。空を見て、暗いところがあれば傘を持っていくようになった。駅の方へフランスパンを買いに行った。このパン屋さんのフランスパンは温めるとパンのいい香りがする。(昔のパンの香り)ご主人がレジに出てこられたので、思い切って聞いてみた。「小麦粉が国産だから、温めるといい香りがするのですか?」と。「それもあるけどちゃんとバターを使っているんですよ。固まっているバターが溶けると匂いがするんですよ。クロワッサンも食べてみてください。」と得意げに説明してくれた。

一人暮らしなので、できるだけ人と話すようにしている。この帰りには、魚屋さんとそして前の家のご主人と話した。そういうことが自然にできるようになった。なんでも聞いてみたり、話してみることだと思う。それに、今日はサッカー友から木彫りのお皿が届いた。その方が彫ったものだ。サッカーだけでない豊かな趣味として「木彫り」が紹介されていたので、写真をお願いした。女性が作ったような繊細な作品だった。感想を添えたメールの最後に「ほしくなりますね」とかいてしまった。それくらい素敵だった。

まさか!で木彫りのお皿が届いた。あまり人にものをねだるほうではない。いや、ほとんどない。子供のころから、なにかそういうことが下手だった。でも、この頃、素直に言うようになった。判断はお相手の方だと思うからだ。それはちょっと無理かもしれないし、忘れたころに頂けることもある。私は億秒だった気がする。「送っていただけますか」なども言えずに一人歩いたものだ。

トライ!トライ!やってみないとわからない。お友達が「だめなら次いこう!」と言う。このコロナ禍のときは、そんな判断も必要かもしれない。やみくもには困るが、データに裏打ちされたならトライ!するほうがいい気がする。決断力って必要なんだなぁ と思う。(話が飛躍しすぎたかな)

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