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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

しのぶれど 色にでにけり我がこひは

2021-01-26 18:04:24 | 日記

コロナウイルス禍でストレスがたまるのか、おかしな事件も多い。緊急事態宣言を繰り返すのも限界にきているのかもしれない。これは変な例えだが、掃除をしていて気が付くのだが、一番汚れるの台所(これは調理の材料などのこぼれが多い)と階段だ。私一人しか動かないので、その動きで出る汚れなのだろう。つまり、階段は1日で一番私の動きがあるところで、動けばゴミ(汚れ)が出る。なんとなく、人の流れを止めれば、コロナの感染も止まるのだろうと実感?した。(お粗末)

志村ふくみさんの色に関するお話が面白い。「岩絵具」の話だ。岩石をミクロンの世界まで小さくして岩絵具を作るという。世界中を岩石を求めて「岩絵具」をつくるMさんという人の話で、「宇宙は初めに色があってそれが隅々で岩石になり、植物に受肉し、大気は常に色を流動させている。地中に眠っている鉱石に一番美しい色が潜んでいる。それが宝石だ」と言う。そして、自然界には本当の赤は存在しないという。わかったような全くチンプンカンプンな話でもあるが、志村さんのいうように「赤」は真実と愛とか魔とか表現できないものなのかもしれない。

植物の色を染めるときは、例えば桜の色は花びらではなく桜の木から色を出すという。確かに今も梅が咲こうとしているが、梅の木がほんのりと赤くなっている。桜も木全体が濃いピンク色になる。

科学では解明できないことが、色にはあるようだ。このコロナ禍のなか私はのんきに色の話などを読んでいる。「しのぶれど色にでにけりわがこひは・・・・」この「色」は表情らしい。

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一度のまちがいでも 真実

2021-01-25 18:06:05 | 日記

5時を過ぎても外が明るい。日が延びてきた。暖かく過ごしやすい日だった。2月2日が今年は節分だというから、暦の上では春が近くなる。昨日、ベトナムにいる弟からひさ~ぶりにメールが届いた。大雪ではなく春の陽気になってしまった。繊維関係の工場で管理を任されているようで、日本が暇だと暇だという。気分がよさそうなメールだ。誰でもそうだろうな。忙しくキリキリしていたら気分のいいメールなんて書けない。いや、メールが書けない。のんびりしているらしいが、いつ帰国できるかはわからない。

ぶろぐで「素顔の幸福」が読まれているらしい。向田邦子の「幸福」からの引用だ。このドラマが好きだ。特に岸恵子と竹脇無我の関係が胸に深く残る。岸恵子の演じる組子は竹脇無我が演じる数夫の兄と付き合っていたが、エリートの兄は出世のために組子を捨てて重役の娘と結婚する。その時に組子と数夫は1度だけの間違いをおかす。数夫は組子の妹素子と知り合い結婚に進もうとするが、組子を忘れられない。そんなストーリーだ。

数夫のセリフに「一度だけの間違いでも真実は真実だ」がある。私にはなにかそれがずっと心に残っている。(べつに1度の間違いをおかしたのではないが)「真実」は残るのだ。そして、それは消すことが出来ないのだ。私は消さずにいてよかったと思っている。

もう一度おさらいです。心の糸が繋がっていた真実のしあわせです。

『素顔の幸福はしみもあれば涙の痕もあります。思いがけない片隅に、不幸のなかに転がっています。屑ダイヤより小さいそれに気がついて掌にすくい上げることのできる人を、幸福というのかもしれません』
 

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気障に行こう すべて愛情かもね

2021-01-24 17:36:49 | 日記

空と湖岸の堺がわからない灰色の世界だ。明るいブルーの琵琶湖もいいが、この墨絵のような琵琶湖も好きだ。今日も雨が降っている。体力も持ち直し陶芸に出かけた。彦根の街は閑散としている。ひこにゃんもお暇だろうな。くまモンも暇なのだろうか。

これはちょっと気障な言い方かもしれないが、陶芸も「愛情」だと思った。今は、コーヒーカップを作っている。2個目にはいった。同じものを6個くらい作るとコツを覚えるし、ほかの作品にもつながる。手ろくろで作るので、土を延ばして紐を作る。それを筒状に積んでいく。その後、削ってコーヒーカップの形にしていく。先生もずるいと思うのは、その削り方を少しずつしか教えてくれない。段階があるのだろうな。削る角度や方向は微妙だ。今日は何か作っていて気持ちが違う。

最後に底の高台を作っているときにわかった!「先生、陶芸も愛情ですね!」と。先生は嬉しそうだった。丁寧に削り出しながら、そうだ!料理を作って材料を刻むときに似ている と思った。丁寧に、丁寧に、食べる人のことを考えて作るのと同じような感覚だった。先生は「だから、エネルギーがないといい作品はできないんだよ」と言われた。ごまかすことなく一つ一つ愛情をこめていくしかない。

今日の作品は95%一人で仕上げた。おばさん満足だが、家に帰って1時間ほど昼寝をした。(笑い)愛情の補給だ。

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インスタント麺雑感

2021-01-23 17:30:24 | 日記

あいにくの雨だ。それでも気温は高いので、身体は楽だ。2日間あまり食べられなかったので、それが原因でふらふらする。昨日、宮城のサッカー仲間から生ガキが届いた。松島湾に面したお店で剝いたものをすぐに送ってくれる。グラマーで丸々した牡蠣だ。今回はさすがに食べられず冷凍した。ともかく、食べるものは汁+ごはんか麺類だ。そこで発見したのが、「赤いきつね」がサッパリしていて意外においしいことだ。ほとんどインスタントの麺類は食べないので、びっくりした。ミニサイズがよかったのかもしれないが。実はこれは災害時の非常食だった。今日、補給した。ちょっとはまりそうなので多めに買ってきた。まずいかな。

普段はインスタントラーメンもほとんど食べないが、思い出すのは、学生の頃、母が作ってくれたキャベツがたくさん入った塩ラーメンだ。そう、確か、朝ドラの「満腹ラーメン」の会社のだ。朝ドラの「まんぷく」で思い出したが、この時の万平さんは長谷川博己だった。今回の「麒麟が来る」の初回で、その声がどうしても光秀のイメージではなく万平さんと重なった。声や口調はそう変わらない。話はそれるが、長谷川博己が同じ池端周作のシナリオで尾野真千子と「漱石の妻」で漱石を演じていた。こういう役がこの人には合うのだろうか。

いまではなんでもないインスタントラーメンもできるまではたいへんなことだったのだなぁ とドラマを思い出した。妙に子供の頃が懐かしい。多分、インスタントでも母の味なのだろうなぁ。

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小雪の舞う風景

2021-01-22 17:40:57 | 日記

やっと体調が戻った。めまいはつらい。今回は下を向くと気持ちが悪くなる。字は書けない。本もあまり読めない。食慾はほとんどないだった。やはり、3日目には治る。疲れからくるのだろうから、もう少し自分のことだけをしていればいいのだ と反省する。気分転換に、なにか、すこしロマンチックな話はないのだろうか。最近書いたエッセイのお話でもましょうか。

粉雪にまつわる2つの青春だ。1つは、高校受験の時のお話だ。クラスを越えた仲良し5人組(男子3人、女子2人)が同じ高校を目指していた。合格ぎりぎりのラインに私と仲良しのH君とK子さんがいた。仲良しは同じ学校に行こうと受験した。現実は厳しく、H君とK子さんが不合格だった。受験の結果を報告に中学に各自帰る。仲良しのH君と私は高校の近くの庭園を歩いていた。粉雪が舞い散る中、ふたりは何も話すことが出来ず、ただ歩いた。中学まで30分の道のりをやはり黙って歩いた。

その小雪の舞う庭園の様子をこの地に来て雪の日に思い出すことがある。学校が違えばそれぞれの生活が始まり、すれ違うことが多くなる。私が家の事情で埼玉へ引っ越すときに、借りていたレコードを返したのが最後だった。その中の1枚がベルリオーズの幻想交響曲だったのを覚えている。

50歳の時の同窓会で私は罪の宣告を受けるようにH君の話を聞いた。2人のお嬢さんまでが私の名前を知っているという。あの時、二人が合格できるK高に受験校を変えていれば・・・。その後どうなったかは別としても・・・。ロマンスというよりは、私は誰かを犠牲にして生きているのではと思うお話だ。その償いをずっとしているのかな。いや、そんなことはない。

 

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