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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

「過去最多」の4文字

2022-01-25 17:25:07 | 日記

今朝、外は氷点下の気温だと思います。室内が5℃、冷え込みました。それでも太陽が出てくると、ああ、節分、春分も近いのだなぁと思います。温室のような美容院にやっと出かけられました。明日から、新しい陶芸教室に通います。

でも、夕方になってネットのトレンドは「過去最高」の四文字でした。私はどういうわけか危機管理能力は高いらしく、早いうちから今回の感染拡大は危ないなぁと思っていました。考えらる手をどんどん打っていくしかないように思うのです。そのためにどれだけ生活を保証できるかでしょう。

今日は何かうまく書けません。

こんな時に読む高村光太郎の「傷をなめる獅子」と2月5日に鎌倉で撮った梅の写真です。(傷をなめる獅子は一部です)

今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる。

 

 

 

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何が正解かはまだわからない

2022-01-24 18:37:55 | 日記

今日は青空ですが、風が冷たいです。もう、挨拶は「寒いですね」ばかりです。コロナの感染が拡大しているので、電車に乗っては出かけませんと宣言したので(今のところ)のんびりはしています。何かをしなくてはいけない病もコロナのおかげで少しは直りそうです。

昨年と同じ布団や毛布などを使っているのに、今年はお布団の中があたたかくて「ゆたんぽ」や「電気毛布」などの心配はありません。これは身体の調子がいいのか?です。ああ、神さまがくださった時間なのだろうと思うのです。眠る前の少しの時間に思います。「ひとの3倍近く働いたご褒美だ」と。助けてはいただいたが、一人でよく頑張って生きてきたなぁと。もう、休んでも叱られないだろうと。

時間が経つと頑張ってよかったと思えることは多いように思います。いま、コロナに関して、様々な意見がありますね。でも、私は今そこに正解を求めるのは「酷」だと思うのです。ウイルスなんてそんな簡単なものではないような気がするのです。私は「ウイルス」はミステリアスなもので片付けていました。でも、これだけニュースで流れれば少しは「ウイルス」や「感染症」などがわかりだしました。

病院のこと、保健所のことそんなことも多くの人が知ることができたのではないでしょうか。なんとなく理解していた「免疫」や「DNA」や「抗体」などについても。それは現場の方たちや尊いいのちを失くされた方やコロナにかかられた方には申し訳ないのですが、でもそういうことを多くの人たちが知りえたということはいつか何らかのプラスのことも出てくるのではないでしょうか。大きく考えれば、社会の仕組みや個人の生き方も変わることもあると思うのです。

正解や結論ありきの人生なんてないように思うこの頃です。ガジュマルの木10年前くらいに幸せになってくださいと頂きました。いま50センチを超えています。

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信じるものがあれば

2022-01-23 18:00:40 | 日記

スカイブルーの世界から今日はモノトーンの世界になりました。雲が空一面を覆いどんよりとした空です。雪はだいぶ融けましたが、道路の一角には真っ白な山が出来ています。町は茶色をベースにベージュやグレイ、そして黒の家が多く、本当にモノトーンなのです。

今日は彦根の教会のごミサはお休みしました。やはり電車に乗るのは気が引けるのです。その代わりにイグナチオ教会のごミサをネットで授かりました。今日の司祭は英神父さまでわかりやすいお説教です。(というか気取るところがないというか)お話は90か国で1位を記録した、Net Flex配信の韓国ドラマ「イカゲーム」のから始まりました。お金に困り、崖っぷちに立たされる456人の人々が悲惨な現状から抜け出すべく、賞金456億ウォンを目指し、子供の頃に遊んだゲームを想起させる“命懸けのサバイバルゲーム”に挑むこととか。勝者は一人で残りの人には死しかありません。

なぜその話から始まったかといいますと、ローマ帝国で迫害されていたキリスト教がなぜ国教になったかということのためでした。ここでキリスト教の宣伝をするのではありませんが、コロナ禍でたくさんの神学者が禍の中で生き抜くことを本に出しているそうです。その中の一つのお話とか。

どのような禍の中でも、逃げ出さずに力を合わせて生きて抜いていくことが大事ですということでした。それには信じるものがあるということではないでしょうか。仏であれ、神であれ、人であれ信じて、繋がっていくことは生き抜くパワーとなります。新しい「絆」も必要ではないでしょうか。

今日は「おいしゅうなあれ、おいしゅうなあれ」と小豆を煮ました。お餅がないので昔、母が作ってくれたすいとんを思い出してお餅の代わりにしました。あま~い香りと味に癒される日でした。

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コロナも地震もきた  でも今生きている!

2022-01-22 15:29:42 | 日記

久しぶりの青空でした。年を取ると天気に体調も左右されやすいのでしょうか。寒さ負けという言葉がありますが、そんなに寒さに弱くないと昨日は雪の残る中を歩いてきましたら、夕食が終わるとだるいというのか、ともかく早く横になりたいでした。確かに、昼間も胃の調子が悪くだるい感じでした。

今日は少し厚着してスタートでした。

 

神社で見た前撮りのカップルの姿。本当にしあわせいっぱいという感じでした。(一番いい時ですものね。いや、ずっといいでいてほしいです)スーパーの食器売り場では、カップルが食器や台所用品を選んでしました。ああ、新しい生活の始りなのだなぁ・・・。

それにしても、大分や宮崎などを襲った地震。九州でもコロナの感染が拡大しているときになんていうことを・・・。祈るしかできない私は神さまに何を祈ったらいいのか・・・。

人通りのない帰り道でマスクを外してみました。ああ、なんと新鮮な空気でしょうか。雪で塵や埃が落ちてしまいすがすがしい空気でした。これはと腹式呼吸で大きく息をしました。

出来ることは今感じることだけ。今、呼吸しておいしい空気を吸うことができるだけ。それは生きているということだけ。それが出来れば、今日1日生きていけそうです。(本屋さんの宣伝みたいな写真ですが)

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つらい選択でも 少し遠くを見て

2022-01-20 22:03:34 | 日記

今日は大寒。全国的に厳しい冷え込みのようです。滋賀北部は大雪の予報でしたので、「大丈夫ですか」のメールや電話がありました。さほど雪は降らず、水気の多い雪が降って滑りやすくなりました。夕方は夕日が雪の上に射してきれいでしたが、寒い、寒い!

お友達のお母さまが寒さで弱ってきていると言います。95歳を超えるご高齢ですと、この寒さは体にきくと思います。「やはり、老人介護施設にお願いするべきだったのか?」と悩まれます。だれでも自分の家にいたいし(帰りたいし)、自分の親の面倒は看たいと思うものです。介護にこれでいいということもないし、ああすればよかった、こうしないのがいけなかった、と思うのは常の事と思います。後悔のない介護はないように思います。特にこのコロナの時期は面会はできないことが多いです。比較的お元気な方が施設の中でも自分の部屋からは出られなかったとも言います。

私は残酷なのか、介護は第3者の手が(目が)入ったほうがいいと思っていました。何かの時に自分の手に負えないことも多いと思うのです。より安全で適切な介護はプロに任せた方がいいと思ったのです。できる限りのことはしましたが、やはり後悔は残ります。自分の生活を大事にし過ぎたのではないか、もっとそばにいてあればよかった・・・と。なによりもは母は心細かっただろうと。

大事な人のそばにいてあげられないことはとてもつらいことです。でも、少し違う視野に立つと、すべてダメにしたら二人がダメになってしまうということです。そのほうがより悲惨だと。だから、心を鬼にしないと(ちょっとオーバーかな)いけないのではないかと思うのです。それを冷たいとか冷酷だといわれても、辛い選択もあるのではないでしょうか。いつかいい結果が残ると信じて。

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