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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

雪の匂いは?

2022-02-17 18:03:44 | 日記

冷蔵庫に入れ忘れて室内に置いたものでも悪くなることはないこの頃です。バターや生クリームのかちかちです。朝は室温5℃くらいで始まりました。雪はあまり降っていませんでした。粉雪が降ったり止んだりです。ついに家から3メートいう以上は出ませんでした。越してきた時はこの地ではなんであんなに立派なガレージを作るのだろうと思いましたが、今年は納得です。不動産屋さんの男の子に言われた「スーパーは突然臨時休業になりますから気を付けてくださいね」もまさにその通りで昨日は見事そのくじを引きました。

昨日書いた宮本輝の小説に「雪の香りがした」とありました。「雪の匂いね」・・・。雨の匂いはわかるのですが、「雪の匂い」はわかりません。ずっと雪国に育っていたらわかるのかななどと思いました。この主人公の女の子は富山から都会に出て1年で富山に戻ってきてしまいました。勤めたいた会社が新宿という設定ですから、そうかもしれないなぁと思います。

人はどこかに心のふるさとのようなものを持っていて、無意識にそこにもどる(似たようなところに戻る)帰巣本能のようなものを持っている気がします。それは幼い時の記憶とかが多いのではないでしょうか。失ったものを別のものの中に見出すというのか。すべての人がそういうふうに生きるわけではないでしょうが。私がこの地に落ち着いたのも失った家を見つけたような気もします。

今日もタイピングする手が冷たいです。北国では大き目の湯飲み茶わんがいいようですね。雪の匂いはないような気がします。雨の匂いは「土」の匂いかもしれませんね。

写真は河津桜です。

 

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富山の風景の中のうつくしいあい

2022-02-16 18:49:07 | 日記

明日から雪になるというだけにかなり冷え込んでいます。夕方は朝よりも気温が高いのですが、体感の温度は夕方のほうが寒いです。じっとしていると身体が腕から冷えてきます。凍えるという感じです。オリンピック会場のマイナス20度なんてとんでもないですね。

あっという間に夕方で今日は何をしたのかしらです。読んでいる宮本輝の小説の舞台が(2011年からの新聞掲載小説)富山、京都、東京なのですが、その富山・京都の町の様子の描写がすばらしくどんどん引き込まれて旅をしているようです。特に富山の田園風景や港の様子は想像力を高めます。それがさびれた漁港やただ広いだけの田園風景でも。各駅停車の旅ですね。

会社の社長であった男性がこっそりと人を愛していました。九州出張といって富山にいる女性に会いに行っていたのです。知っていたのは会社の役員の男性一人でした。男性は65歳で心筋梗塞で突然富山の駅で亡くなりました。そこからスタートしていくお話です。女性とは京都で巡り会って、亡くなった時の逢瀬で女性は身ごもりました。男の子でした。この子と男性の次女が彼女の描く絵本を縁として繋がっていました。男の子は絵本の大ファンだったのですね。

宮本輝の文章の巧みさか女性の周りの人たちのあたたかさか、そんなことでこれを不倫と非難できないような小説です。舞台の富山の自然の豊かさでしょうか。前に宮本輝は真剣な愛でなくては(いのちをかけるような)いけないと言っていました。この小説に「欲」とかというものがどこにもない気がします。

明日からはまたお籠り生活になりそうですが、20日からサッカーの仲間がご夫婦で遊びに来ます。例年はもう一人のお友達と(昨年8月に亡くなられた)来るのですが・・・。3人の姉弟のように過ごした時間が懐かしく思い出されます。3人は男女を越えて仲良しでした。

 

 

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希望を与えてくれるちから

2022-02-15 17:55:46 | 日記

運動不足解消にできるだけ毎日歩いて買い物に出ています。歩き続けて3年経つと、4キロくらいは楽になります。ごく普通に歩いていても背中がすっと伸びてきた感じはあります。今日はスーパーへ行くと売れ残りのバレンタインチョコがまだそのままでした。シラーっとして興ざめでした。隅に置いて値下げして売ればいいのになどとおばあさんは思うのです。知らないのですね、その日(時)でないと遅い告白もあることを。笑。

オリンピックもさわやかさとなにかドロドロしたものがあります。でも、昔のオリンピック競技でも相手を妨害することが多くあった読んだことがあります。人間はそういうものなのでしょうか。美しい姿はひたすら競技に打ち込んでいる姿ですね。ほかの分野でも小さなことで周りからみれば少しおかしいのじゃないの?と言われることにもひたすら打ち込んでいる姿はすてきだなぁと思います。晴れやかな姿というのでしょうか。

そして、やはりそれを応援してくれる力でしょうか。それは金銭でなくて(もちろん金銭も必要ですが)一緒にどうしたらいいのか考えて悩んでくれる力ではないでしょうか。「これやってみようか」とか「こういう方法もあるかもしれない」とか「いろいろ調べてみようか」などそういうことのように思います。

今思うと私はそんな力が欲しかったなぁと思うのです。避けられない運命でも(自分ではどうすることもできない)次への希望を与えてくれる力が欲しかったと思うのです。

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行きたくても行けないところ、あいたくてもあえないひと

2022-02-14 18:44:30 | 日記

まだ雪の残る町を手袋なしで歩ける日でした。夕焼けチャイム(ここは5時)の時間でもだいぶ明るいです。左半身は交通事故で打ったりしたところがあるのか、痛む場所があります。神経が傷んでいるのでしょうね。

町を歩くとひと住まぬ家は樋から雪解け水がぼたぼた落ちてきます。屋根や樋が壊れています。ああ、人が住まない家はこうして傷むのだなぁと思います。新しく建替えずにそのままの家が目立ちます。市や県も困っているのでしょうね。それでもまだここは人が多いほうでしょう。廃村になる山奥の村は多いようです。そんなお話をお友達がしていました。かつて家族や親せきで夏休みなど過ごした村がないと・・・。

その時のお話で、壊れそうでもなんとか形があればいいけれども、何もないと訪れることができないということでした。まがりなりにも形があれば・・・。人も同じですね。会いに行こうと思えば会えるのと、もう会うことができないのとははるかに違うということです。

こころに残るのは形がないほうですね。会うことができない人ですね。でも、それはその人が大事に抱えていくしかないと思います。それにかわるものはどこにもないのですから。

今日はバレンタインデーとか。日本人らしいなにかおかしな習慣です。でも、まぁ、ぶろぐにはバラでも飾りましょうか。

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一期一会のよろこび

2022-02-13 18:26:40 | 日記

買い物に出ると手袋をしていても手がかじかんできます。寒い日曜日、町は閑散としています。コロナと寒さとでこれでご商売は大丈夫なのでしょうか。日曜日でもお店を閉めている商店が多いです。春になれば・・・。長浜の曳山祭りのポスターが張り出されました。4月中旬です。今年はどうなるのでしょうか。

久しぶりにお茶を点てました。袱紗をさばくと心が落ち着いてきます。お薄なのでお干菓子が欲しいのですが、長浜の和菓子屋さんでは見かけません。今日は干菓子があった老舗でお尋ねすると、「これは京都からお正月に仕入れたもので、ここでは作りませんね」でした。お茶の先生たちもお茶会のお干菓子は京都で求めているようです。関東ですとスーパーでも二種類ぐらいはお干菓子がありましたのに。湿度が高いからでしょうか。

歴史小説を読んでいると茶の湯は信長の時代あたりから、本来の茶道から権力を示すものになってしまったようです。金の茶室がどうして「わび、さび」世界なのかと思うのです。今日は家にあった花を飾り、器は自分で作ったもの、お菓子も鶯餅でした。でも、そこにささやかな春の世界を作ることができました。

通いでした工芸教室の主事が1回目の授業が終わるのを待っていて下さって、一期一会と書かれた手作りの封筒を渡してくださいました。中にはマスクが入っていて、「いい出会いになりましたね」と言ってくださいました。彼女はお茶の先生でもあります。「一期一会」はすてきな言葉ですね。そういう出逢いが私の人生にあったことをとてもうれしく思っています。そういう出逢いはおそらく「遠慮」のいらない出逢いのような気もします。何も構えることなくごく自然にその出逢いを楽しむことのように思います。「雪が心配でお電話しようか迷ったのですが」と話しますと、「遠慮など不要ですよ、いつもお電話ください」でした。

あなたとの出逢いも「一期一会」と大切にしたいと思います。

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