のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

忘却が特技です

2007年10月08日 18時57分42秒 | 日常生活
修養会終了後、ご飯を食べて解散することになりました。
お店に向かう車の中で隣に座っていた子に家の方向を尋ねると
「・・・・ねえ。もうこの会話、3回目なんだけど。」
と、ため息をつかれました。

・・・そういえば聞いたことあったよね。
いつもいつも「遠いのにわざわざ来て偉いね。」って感心してたよね。

「人のことに興味なさ過ぎじゃね?」

・・・う。ごめんよ。
でもね、「確か遠かったんだよね。」とは思いながら聞いたのよ?
「遠いところからわざわざ来てて偉いんだよね」ということは
覚えてたのよ?全部、忘れてたわけじゃないのよ?

ご飯を食べながら、明日の仕事の話となり
隣の席の子に仕事場を聞いていると、
あきれ果てた声でまたもや突っ込まれるのりぞう。

「・・・ねぇ?そいつの仕事場の話もこの前、したよね?」

・・・そ、そういえばしたような、しなかったような。
あ、確かにしたかも。記憶が蘇ってきたかも。
遠いね、と感心したかも。ごめんよう。

食べ終わって、家まで送って帰ってもらえることになり
「おお♪初めて車に乗るねー!
 散らかっていると噂の車、楽しみー♪」
とうきうきしていると、車の持ち主から憤慨されるのりぞう。

「嘘つくな!この前、乗ったやん!!」

・・・・そうだっけ?乗ったっけ?
何で乗ったんだっけ?

もはや特技と言ってもいいぐらいの忘却力です。

呆れ果てられながら言われた
「彼氏のことも忘れるっちゃろうねぇ。
 付き合うことになった彼氏から三日後ぐらいに電話がかかってきたら、
 明るく『あれ?私達、付き合ってるんだっけ?』とか言ってそうやん。」
という言葉に、まったくもって、一言たりとも反論できません。




・・・そ、そんなことないもん。(ちょう弱気)

気後れしてる場合じゃありません

2007年10月08日 18時39分39秒 | 日常生活
日曜日、礼拝が終わった後に福岡周辺の青年会が集まる
修養会に参加するため、佐賀の鳥栖教会に行ってきました。
一泊二日で語り合ったり飲んだりふざけたり
真剣に考えたりして過ごす集いです。

この集いに参加させていただくのも3、4回目。
徐々に知り合いも増え、その場の空気にもようやく慣れてきました。
学生時代、クラス替えをするたびに新しいクラスに慣れるのに
ものすごく時間がかかっていたのりぞうですが、
学生時代に比べると、驚異的な速さで気後れすることなく、
緊張することなく、みんなとお話できるようになりました。
心なしか、みんなも遠慮なく接してくれるようになった気がします。

「ちょっと、ちょっと!ねえねえ!」
と手招きをしてのりぞうを呼ぶので、近寄っていくと
「なんでもない。特に用事はないとって。」
と言われたり、
「はぁ?!用事もないのにわざわざ呼んだと?」
と驚くと、呆れたように
「いや、呼ぶだけで簡単に来るまぬけっておるんかなぁと思って。
 本当におったわ。」
とため息をつかれたり、本当に遠慮なく接してくれてる気がします。

・・・・普通は呼ばれたら行くんだよ。

「お前はシモベだから。」
と宣言されたり、
「ということは、俺のシモベでもあるんだ。」
と納得されたり
「つーことは、俺達のシモベってこと?」
とウキウキされたり、本当に遠慮なく接してくれるようになった気がします。

・・・・あ、クリスチャンの集いです。

とにかく会う人、話す人のほとんどが
学生時代に接したことのないタイプの方々ばかり
学生時代に話してみたいな、と思っても
勇気がなく話しかけられなかったタイプの方々ばかりなので
一緒に過ごしていて大変オモシロく、興味深い二日間でした。

人間関係に気後れって不要なんだよ?
と自分自身に暗示をかけなおさねば。

悩む~教会・信仰・話~

2007年10月08日 17時39分31秒 | 日常生活
青年会修養会にて、鳥栖教会の野中牧師より
「悩む~教会・信仰・話~」と題して、お話を伺った。
伺ったこと、お話を聞いて考えたことを忘れないうちに
自分用のメモとして記しておきたい。

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・牧師として、大阪の平野教会に赴任した際に阪神淡路大震災を経験。
 この経験を通して、「教会とは何をする場所なのか」
 「教会とは何を担う場所なのか」を考えるようになる。

・教会員の一言
 「平野教会が今、この地区からなくなっても、この地域の人は
  おそらく誰も悲しまない。そんな教会でいいのだろうか?」
 →教会は教会員のためだけのものではないはず。
  教会に来ていない人たち、信者ではない人たちにとっても
  関係ある場所でなくてはならない。

・震災後、復興作業のため、全国から日雇い労働者が神戸に集まる。
 →仕事がなくなった後も街に残るホームレスの方々の姿を見て
  ホームレス支援に乗り出すようになる。

・炊き出しなどの支援は、あくまでも関係性を作るための「手段」。
 →炊き出し自体が解決策ではない。
  解決策は自分達にも見えない。無力感を感じることもある。

・しかし、教会は「自分達がイエス様を信じて、神様に従って
 それで終わり」という場所であってはならない。
 教会は教会の中だけで関係性をとじるのではなく
 常に地域と、周辺の人々と関わり合い持っておく必要がある。

・答えのないことを考えつづけ、悩み続けることは神様からの贈り物。

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最近、オーラやヒーリングや自分探しなど、自分自身と
どう付き合っていくか、本当の自分とはどんなものなのか
といったテーマで悩んでいる人が多い気がする。
かくいう私も、その中のひとりで、自分自身と
どううまく付き合っていくか、暗中模索の日々だ。

けれど、私達はひとりで生きているわけではなく
社会で生きている以上、自分との関係性を模索するだけではなく
社会が抱える問題について、社会の中で自分達にできることについて
日々、考え、行動していく必要があるのだと感じた。
勿論、自分について深く考えること、自分自身を省みることは
大切だし、必要だとも思う。けれども「個」に偏るのではなく
「社会」「地域」「国」について、広く知り、考える必要はある。
そして、考えるためには、自分が動いて、考える材料となる知識を
多く集めて回らなくてはならないのだと思った。

例えば、今回のお話で触れられた「ホームレス支援」について
私は近くの地域住民として、長い間、否定的な意見を持っていた。
けれども、今回、この修養会に参加し、実際にホームレス支援を
している方のお話を伺うことで、違う考え方に触れることが出来たし
その考え方に共感することも出来た。だからといって、
今までずっと抱いてきたマイナス感情がなくなることはないし
そのマイナス感情も「現実」「事実」として間違っていない
とも思っている。けれど、自分の考え方が正しいわけではないこと
両者の意見共に「仕方がない」ものであり、その中で、お互いに
より良い関係性を築くべく歩み寄る方向性を探す必要があると
考えることができた。

クリスチャン、ノンクリスチャンの関係なく
周囲の人々と分かり合おうと歩み寄る姿勢は必要だし
そのためにも私自身が動き、私から語りかけなければいけない
と改めて思った。
ここ数ヶ月「待っているだけではダメなのだ」というテーマについて
手を変え、品を変え、考える機会を設けられているように思う。
今の私にとって、必要なテーマなのだろう。

野中先生のお話の最後に読まれた聖書の箇所が印象的だった。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
 私があなたと共にいる。
 だから、あなたを襲って危害を加えるものはいない。」
              使徒言行録18章9節10節



また、同世代?の人たちと共に教会の将来について
地域との関係性について、考え、意見交換することによって
現在の自分の教会に対するスタンスや
今後、教会にどうあってほしいのか
自分はどう動きたいのか、などを冷静に考えることもできた。
多くの人の意見を聞いて、話すことは、純粋に面白いし、
普段はもやもやしている自分の考えをまとめられて
すっきりすることができる。改めて修養会に参加する意義を感じた。

ガールズ・ブルー/あさのあつこ

2007年10月08日 17時30分03秒 | 読書歴
■ガールズ・ブルー/あさのあつこ
■ストーリ
 落ちこぼれ高校に通う理穂、美咲、如月。十七歳の誕生日を目前に
 理穂は失恋。身体が弱く入院を繰り返す美咲は同情されるのが大嫌い。
 如月は天才野球選手の兄・睦月と何かと比較されている。
 でもお構いなしに、それぞれの夏は輝いていた。葛藤しながら
 自分自身を受け入れ愛する心が眩しい、切なくて透明な青春群像小説。

■感想 ☆☆☆☆*
 決して、優等生とは言えないヒロイン達。
 世間一般で言うところの「マジメ」とは無縁。何かに一生懸命、
 取り組んでいるわけでもない。将来に対しての不安も大きい。
 でも、みんなの毎日は輝いている。特段、何が起こっているわけでも
 ないけれど、ヒロインたちの日々や会話を聞いているだけで、
 清々しい気持ちになる。

 それは、ヒロイン達がどんなときも自分達を受け入れ、
 愛そうとしているから。自分達の可能性を信じている。
 どんなときも自分が主人公であろうともがいている。
 脇役なんかになってたまるか、くそくらえ!と言い放つ彼らは
 とてつもなくかっこいい。
 文中、心に残る科白、爽快な気持ちになる科白がいくつもあった。
 落ち込んだとき、元気がないときに読み返したいお話。

 「あたしは主役をはりたいのだ。演出も脚本も主演も、
  全部あたしがやる。あたしに役を与えて、演じろと命じるものを
  かたっぱしから蹴っ飛ばしたい。他人の物語の中で生きていく
  ことだけはしたくない。」

 「十七歳のあたしたちに、均等に与えられている今を、愛するのも
  憎むのも疎むのも受け入れるのも自由だ。睦月のように
  めざし、励み、やがては到達する夢も目標もないけれど、
  あたしは無条件で今のあたしを受け入れ、愛している。」

 「今だけがよければいいなんて、思わない。でも、過ぎて行く時を
  惜しむことも、これから来る時に怯えることもしたくない。
  したくないのだ。」