子供の頃、母がキュウリを料理に使うときに、
ヘタから1センチぐらいのところをスパンと切り、その切り口同士をこすり合わせた。
そうすると、白いカスのようなものがずりずりと出てきて、
「これがキュウリのアクである」と母は言うのだった。
私はそれを信じて、以来ずっと、キュウリのヘタをこすり合わせてアクを取っていたのだが、
かつて、そのやり方に賛同を得た試しがない。
キュウリにアクがあるのか?という疑問を投げかける人もいたし、
それがアクなら、ヘタ近くだけじゃなくてキュウリ全体にアクがあるのではないか?と言う人もいた。
そしてそのどちらにも私は答えられない。
よかれと思ってやっていたことが、後に、間違っていたことが立証される例はあって、
たとえばゴボウのアク抜きも、本当はしなくてもいいのだということに最近はなっていると聞いた。
ゴボウのアク抜きは、たぶん多くの人がやっていたであろうから、賛同者ゼロのキュウリと並べるのは無理があるだろうが、
今の私には、キュウリのアクがどうであろうがたいしたことではない。
ただ、
「そうそう、私もキュウリのヘタをこすり合わせてるよー!」
という同志が欲しい、それだけである。
久々、日本のキュウリが手に入って、そんなことを思い出した。
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ヘタから1センチぐらいのところをスパンと切り、その切り口同士をこすり合わせた。
そうすると、白いカスのようなものがずりずりと出てきて、
「これがキュウリのアクである」と母は言うのだった。
私はそれを信じて、以来ずっと、キュウリのヘタをこすり合わせてアクを取っていたのだが、
かつて、そのやり方に賛同を得た試しがない。
キュウリにアクがあるのか?という疑問を投げかける人もいたし、
それがアクなら、ヘタ近くだけじゃなくてキュウリ全体にアクがあるのではないか?と言う人もいた。
そしてそのどちらにも私は答えられない。
よかれと思ってやっていたことが、後に、間違っていたことが立証される例はあって、
たとえばゴボウのアク抜きも、本当はしなくてもいいのだということに最近はなっていると聞いた。
ゴボウのアク抜きは、たぶん多くの人がやっていたであろうから、賛同者ゼロのキュウリと並べるのは無理があるだろうが、
今の私には、キュウリのアクがどうであろうがたいしたことではない。
ただ、
「そうそう、私もキュウリのヘタをこすり合わせてるよー!」
という同志が欲しい、それだけである。
久々、日本のキュウリが手に入って、そんなことを思い出した。
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