太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

祖母

2015-08-10 21:45:03 | 日記
祖母が他界して20年余も過ぎた今になって、

折に触れ祖母のことを思う。

父方の祖父母と私達はずっと一緒に暮らしていた。

母は家業を手伝い、家事を切り回し、病弱だった姉の世話もあって多忙で

私は祖母と寝たり、留守番したりすることが多かった。

それなのに、私はいわゆるおばあちゃん子にはならなかった。

祖父母とも、孫たちとは一線を引いている節があって、

お風呂に入れてくれたり、何かを買ってくれたりということはしたけれど、

懐に飛び込むような包容力は感じなかった。

私にとって祖母は、お嬢様そだちの、わがままで裏表のない人で、

嫁として苦労を重ねた母を通しての祖母しか私は知らなかったことに、今さら気づいた。


晩年、祖母は認知症になり、家族は振り回されたけれど、

最期は穏やかな人となって眠るように息を引き取った。

祖母の通夜の日、3番目の叔父が、庭に向かって男泣きをしているのを見た。

私は叔父が、というより男の人がそんなふうに泣くのを見たことがなかった。

祖母は、どんなお母さんだったんだろう。

家庭的とはいえない祖母だけれど、3人の息子にとっては母親なのだ。


懐に飛び込む感じではないと言ったけれど、一度だけ飛び込んだことがあった。

小学校の6年のとき、まわりの友達はボツボツ初潮を迎えていたのに、私にはまだ来ないことが不安だった。

母に言いたかったけれど、私の母は、女性的な話題を持ち出せない雰囲気があり、

こんなことを聞いたら、叱られそうで言えなかった。

一人で悩んでいたある日、トイレで用を済ませたら、下着に小さな点がある。

目を凝らさないと見えないほどの点が、見れば見るほど血液に見えてきて、

私は下着を持って祖母のところへ行き、これは初潮なのかと聞いた。

祖母は、これは違うと言ったあとで

「女の人はみんな そうなるんだから、あんただって必ずなるんだから。

心配しなくて大丈夫」

そう言って少し笑った。



祖母の誕生日を、祝ったことがあっただろうか。

明治生まれはそういうことは得意じゃないのだと、それは本当なんだろうか。

一線を引いていたのは、私達のほうではなかったんだろうか。

今更あれこれ考えてもどうにもならないけれども。


30年近くも時間があったのに、私はなぜもっと祖母を知ろうとしなかったのだろう。

父や叔父に、母親だった祖母の話を聞いてみたい。

姉や妹にも聞いてみよう。私の知らない祖母が、きっといる。



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