その昔、東京で姉と住んでいた部屋は三田にある古いビルで、
住まっている人もいたが、オフィスとして使っている部屋のほうが多かった。
そこのトイレはお風呂とひとつの場所にあった。
浴槽とトイレと洗面台が隣り合っていて、
便器を真横に眺めながらお風呂に浸かるのも、
申し訳程度の窓が(それも傾くだけで全開しないやつ)あるだけだから
いつも湿って、独特のにおいがこもっているのも好きじゃなかった。
だからその後、アパートを探すときには、トイレとお風呂が別であることが重要視された。
こじんまりとした小部屋で用をたすヨロコビ。
ところが、日本を離れてみたら、トイレだけが独立した小部屋になっている家を見たことがない。
トイレのことをバスルームと呼ぶのは、バス(お風呂)と一緒にトイレがあるからだろう。
浴槽の中ですべてを終わらせてしまうアメリカ式と、
浴槽は浸かるだけ、ジャージャーとお湯を流して体を洗いたい日本式という違いはあるにしても
東京のビルのお風呂のようにしんなりとしていなくて、どこかセイセイとしている。
本土にある知人の家は、浴槽から出ると、もうそこがカーペット敷きになっていた。
湿気の多い日本じゃ考えられない。
2年前に建てた我が家も、
日本式の浴槽(ちっさーいやつ)を置いた、大きめのシャワールームに透明ガラス引き戸があるが、
洗面台とトイレが丸見えだ。
さらにそのバスルーム全体の引き戸があるのだけれど、これは1度も使ったことがなく、壁の中に入ったままだ。
つまり、シャワーを使うときも、用をたすときも完全開放。
どうせ家の中にいるのは夫と猫だけ。
公共の場にあるトイレのドアが小さいのは、防犯以外に、実はこういう生活習慣も原因なんじゃないか、と思う。
というのも、年に1度日本に行くときにトイレに入ると息が詰まりそうになる。
実家のトイレはむろん、デパートなどのトイレは、ドアがきっちりと床まであって
閉じ込められた感じがして落ち着かない。
ハワイの公共のトイレのドアは下半分が50センチ以上あいていて、ホッとする。
日本からくるお客様は、個室の中の足が見えるのが嫌だと言うけれど
普段から開放的なトイレに慣れているコッチの人は、オナラはぶーぶー、出る音にはまったく無頓着。
足が見えたぐらい何なのさ、というかんじである。
用をたすときの音を消すための装置が、日本以外で売られない理由はコレであろう。
こじんまりとしたトイレで用をたすヨロコビは、
あっというまに開放体験によって消え去った。
中国には、ドアがないトイレがあると聞いたことがある。
昔は、そんなところには行けないと思っていたけれど、今なら行けそうな気がしている。
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住まっている人もいたが、オフィスとして使っている部屋のほうが多かった。
そこのトイレはお風呂とひとつの場所にあった。
浴槽とトイレと洗面台が隣り合っていて、
便器を真横に眺めながらお風呂に浸かるのも、
申し訳程度の窓が(それも傾くだけで全開しないやつ)あるだけだから
いつも湿って、独特のにおいがこもっているのも好きじゃなかった。
だからその後、アパートを探すときには、トイレとお風呂が別であることが重要視された。
こじんまりとした小部屋で用をたすヨロコビ。
ところが、日本を離れてみたら、トイレだけが独立した小部屋になっている家を見たことがない。
トイレのことをバスルームと呼ぶのは、バス(お風呂)と一緒にトイレがあるからだろう。
浴槽の中ですべてを終わらせてしまうアメリカ式と、
浴槽は浸かるだけ、ジャージャーとお湯を流して体を洗いたい日本式という違いはあるにしても
東京のビルのお風呂のようにしんなりとしていなくて、どこかセイセイとしている。
本土にある知人の家は、浴槽から出ると、もうそこがカーペット敷きになっていた。
湿気の多い日本じゃ考えられない。
2年前に建てた我が家も、
日本式の浴槽(ちっさーいやつ)を置いた、大きめのシャワールームに透明ガラス引き戸があるが、
洗面台とトイレが丸見えだ。
さらにそのバスルーム全体の引き戸があるのだけれど、これは1度も使ったことがなく、壁の中に入ったままだ。
つまり、シャワーを使うときも、用をたすときも完全開放。
どうせ家の中にいるのは夫と猫だけ。
公共の場にあるトイレのドアが小さいのは、防犯以外に、実はこういう生活習慣も原因なんじゃないか、と思う。
というのも、年に1度日本に行くときにトイレに入ると息が詰まりそうになる。
実家のトイレはむろん、デパートなどのトイレは、ドアがきっちりと床まであって
閉じ込められた感じがして落ち着かない。
ハワイの公共のトイレのドアは下半分が50センチ以上あいていて、ホッとする。
日本からくるお客様は、個室の中の足が見えるのが嫌だと言うけれど
普段から開放的なトイレに慣れているコッチの人は、オナラはぶーぶー、出る音にはまったく無頓着。
足が見えたぐらい何なのさ、というかんじである。
用をたすときの音を消すための装置が、日本以外で売られない理由はコレであろう。
こじんまりとしたトイレで用をたすヨロコビは、
あっというまに開放体験によって消え去った。
中国には、ドアがないトイレがあると聞いたことがある。
昔は、そんなところには行けないと思っていたけれど、今なら行けそうな気がしている。
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