休日の朝、ウォーキングしたあとでうたたねをしたら
大河原さんの夢をみた。
過去に大河原さんについて書いた短い記事がある。
シアトルに住む甥は空手を習っていて、「イチ、二、サン、シ・・」と日本語で数を数えられるのが自慢だ。
年末に会った時には「カイチョウ(会長)」とか「センパイ(先輩)」という単語も使ってるんだよ、と教えてくれた。
「私が先輩になるわけだね、よろしくね」
そう言って、大河原さんはにっこり笑った。
小学校では、1年から6年まで縦割りにしてグループを作って活動する時間があって、3年生になったばかりのグループ分けの自己紹介のときだった。
大河原さんは5年生で、首の半分あたりで切りそろえた髪は少し茶色で柔らかそうで、くるっとよく動くまあるい目の、ハキハキした明るい人だった。
先輩、なんていう言葉は漫画の中でしか知らなかったから、漫画の登場人物になったような気がして嬉しかったのを覚えている。
何回か活動を重ねる間に、私達はポツポツといろんな話をした。
好きなテレビ番組とか、歌手とか、そんな程度の話だ。
たった2学年上なのに、大河原さんは落ち着いていて、すごく年上に見えた。
或る時、何の話からそうなったのか忘れたが、大河原さんが、
「あのね、私の家、火事で焼けちゃったんだよ」
と言った。
私は何と言っていいかわからず、彼女の顔を見ていたと思う。
「それでね、その時お父さんが死んじゃったんだぁ」
それはまるで、「昨日デパートに行ったんだぁ」というようなサラッとした言い方で、それが余計にそのことの重大さを引き立てているようで、私はショックで何も言えなくなってしまった。
埃っぽい校庭で、体育座りをしていた。
大河原さんは、台の上に立っている教頭先生のほうに顔を向けていたけれど、何か違うものを見ているようにみえた。
「お父さん、紺色の着物着てね、新聞広げて読んでるの。その後姿がね、私が見た最後だったんだよ」
こんな悲しい話を、私は身近で聞いたことがなかった。
胸の奥のほうから、どくどくと恐怖や、彼女の気持ちに寄り添おうとする時の、想像もつかない悲しみや喪失感が噴き出してきて痛くてたまらなかった。
その時私は何か言ったのか、言わなかったのか忘れてしまった。
ただ、風が校庭の砂を吹き上げて、砂が目に入らないように目を細めている大河原さんの、そのおとなびた横顔を、今でもはっきり覚えている。
先輩という言葉で、すぐに飛び出してくるのは彼女のことだ。
記憶の中の大河原さんは永遠に5年生だけれど、思い出す時はいつも、彼女は大人の私よりもずっと大人に思えるのだ。
大河原さんのことは時々思い出すのだけれど、
夢にみたのははじめてだった。
しかし、夢の中の大河原さんがどんな姿かたちだったのか、どうしても思い出せない。
5年生のままだったのか、大人になっていたのかも。
ただそれが大河原さんだということだけが、明らかにわかっている。
40年以上もずっと、私は大河原さんの思い出を追いかけているみたいだ。
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大河原さんの夢をみた。
過去に大河原さんについて書いた短い記事がある。
シアトルに住む甥は空手を習っていて、「イチ、二、サン、シ・・」と日本語で数を数えられるのが自慢だ。
年末に会った時には「カイチョウ(会長)」とか「センパイ(先輩)」という単語も使ってるんだよ、と教えてくれた。
「私が先輩になるわけだね、よろしくね」
そう言って、大河原さんはにっこり笑った。
小学校では、1年から6年まで縦割りにしてグループを作って活動する時間があって、3年生になったばかりのグループ分けの自己紹介のときだった。
大河原さんは5年生で、首の半分あたりで切りそろえた髪は少し茶色で柔らかそうで、くるっとよく動くまあるい目の、ハキハキした明るい人だった。
先輩、なんていう言葉は漫画の中でしか知らなかったから、漫画の登場人物になったような気がして嬉しかったのを覚えている。
何回か活動を重ねる間に、私達はポツポツといろんな話をした。
好きなテレビ番組とか、歌手とか、そんな程度の話だ。
たった2学年上なのに、大河原さんは落ち着いていて、すごく年上に見えた。
或る時、何の話からそうなったのか忘れたが、大河原さんが、
「あのね、私の家、火事で焼けちゃったんだよ」
と言った。
私は何と言っていいかわからず、彼女の顔を見ていたと思う。
「それでね、その時お父さんが死んじゃったんだぁ」
それはまるで、「昨日デパートに行ったんだぁ」というようなサラッとした言い方で、それが余計にそのことの重大さを引き立てているようで、私はショックで何も言えなくなってしまった。
埃っぽい校庭で、体育座りをしていた。
大河原さんは、台の上に立っている教頭先生のほうに顔を向けていたけれど、何か違うものを見ているようにみえた。
「お父さん、紺色の着物着てね、新聞広げて読んでるの。その後姿がね、私が見た最後だったんだよ」
こんな悲しい話を、私は身近で聞いたことがなかった。
胸の奥のほうから、どくどくと恐怖や、彼女の気持ちに寄り添おうとする時の、想像もつかない悲しみや喪失感が噴き出してきて痛くてたまらなかった。
その時私は何か言ったのか、言わなかったのか忘れてしまった。
ただ、風が校庭の砂を吹き上げて、砂が目に入らないように目を細めている大河原さんの、そのおとなびた横顔を、今でもはっきり覚えている。
先輩という言葉で、すぐに飛び出してくるのは彼女のことだ。
記憶の中の大河原さんは永遠に5年生だけれど、思い出す時はいつも、彼女は大人の私よりもずっと大人に思えるのだ。
大河原さんのことは時々思い出すのだけれど、
夢にみたのははじめてだった。
しかし、夢の中の大河原さんがどんな姿かたちだったのか、どうしても思い出せない。
5年生のままだったのか、大人になっていたのかも。
ただそれが大河原さんだということだけが、明らかにわかっている。
40年以上もずっと、私は大河原さんの思い出を追いかけているみたいだ。
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