太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

待つ人

2019-10-13 21:35:58 | 日記
待ち合わせをした相手を、どのぐらい待つだろうか。
むろん、相手との関係にもよるだろう。
今は携帯電話やメールで、「もうすぐ着くよ」とか「ごめん、少し遅れる」というやり取りができるけれど、
昔は待ちぼうけや行き違いは普通にあったのだ。

私は、待つ人だ。
せっかちな私は、たいてい早めに待ち合わせ場所に行く。
約束した時間を、10分ぐらい過ぎると、そわそわしてくる。
道が混んでいるのか、出るのに手間取っているのか。
30分過ぎると、不安になってくる。
事故でもあったのではないか、約束は本当に今日だったのか。
1時間過ぎると、もし今帰って、数分後に相手が来たら、あるいは、
遅刻した相手に、ここまで待ったことを恩着せたい気持ちもあって
その場を離れることができない。
相手が交際相手であったりしたら、不安は妄想となって
最悪のケースまで想定されてきて、心細さに押しつぶされそうになりながら、待つ。
そうして、3時間待ったこともあった。
結局、そのとき相手はどうしたのだったか、誰だったのかも思い出せないのに
3時間待った、という事実だけを覚えている。


行き違いといえば、前回日本で友人に会ったときに
「あんたと待ち合わせするとおもしろかったよねぇー」という話になった。

あるとき、私は友人3人(A.B.C)と仕事終わりに待ち合わせをした。
伊勢丹デパートの前で7時。
早めに行くはずの私が、そのときは7時少し過ぎに伊勢丹に着いた。
10分待っても、誰も来ない。
そこで、
「もしかして伊勢丹ではなく、西武だったのでは?」
という思いが浮かんだ。
静岡市の繁華街は、駅から延びる1本の長い通りになっていて、
駅に近いほうに西武デパート、駅から1番遠い端に伊勢丹デパートがあった。
待ち合わせした仲間の一人Bが、西武デパートで働いていたので
わざわざ遠い伊勢丹よりも、西武で待ち合わせるほうが道理に合っている。
そう思いだすと、そうとしか思えなくなってきて、
私は西武デパートに向かって歩きだした。


西武デパートが見えてくると、果たしてそこには西武で働いている友人Bがいた。
やっぱり西武だったんだ、と思いつつ近づくと、Bは携帯電話で誰かと話している。
「ああ、来た来た、やっぱり来たよ、うん、Aに電話するワ」


待ち合わせは、7時に伊勢丹デパートで正しかった。
友人Cが7時少し前に伊勢丹に行くと、いつも早く来る私がいないので
「あいつのことだから、西武デパートと勘違いしているに違いない」
と思い、すぐに西武で働くBに電話をし、西武前で待つように言い、
「あいつのことだから、正面玄関じゃなく搬入口にいる可能性もあるから
Aを搬入口に立たせておくように」
と付け加えた、というのだ。
そういうCは、伊勢丹の搬入口を見に行ったので、私に会えなかったのだという。

いくらなんでも、搬入口には行かないだろうと私は思うのだが、
友人にそう思わせる行動を、日ごろ私はしていたということだ。
この待ち合わせのあと、友人ABCに『頼むから携帯電話を買ってくれ』と懇願され、
その数か月後に、渋々私は携帯電話を買ったのだった。
彼女たちはみんな携帯電話を持っていたし、私はみんなの電話番号も控えていたのだけれど、
携帯電話を持たない人には、公衆電話から携帯電話に電話するという思考回路がない。(私だけかもしれないが)


誰もが携帯電話を持つようになって、
不安に押しつぶされそうになって待つことも、
焦りに駆られながら待たせることもなくなったけれど、
その場所に行くことができないと伝える、なんの手立てもない時代のことが
妙に懐かしく思い出される。