太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

パーマ

2019-10-28 14:22:45 | 日記
初めてパーマをかけたのは、高校3年の卒業式のすぐあとだった。
私が通っていた学校は、カソリックの女子高で、校則が厳しかった。
毎朝のように、地下のロッカールームに続く入り口に、
シスターと風紀委員や教師が立っていて、髪の毛と爪、カバンなどをチェックする。
髪の毛は肩につく長さになれば結ばねばならず、それも、ゆるく可愛く結ぶのはダメで、
根元からギリギリと絞るように結ぶのが規則。
前髪は目にかかってはならず、スカートはひざ下何センチと決まっており、
薄すぎるカバンはダメで(カバンは布製だった)
爪は白い部分が見えないぐらい短くしなければならなかった。
天然パーマの生徒は、学校で髪の毛を濡らして、天然かどうかを検証する、
などということまで行われていた。
週末には、繁華街にシスターや教師が潜んでいて、
『不純異性交遊』がないかどうかを見張っているのだった。
卒業式の当日、クラスメイトの一人が片手の小指に透明のマニキュアをしていたために、式に出られなかった。
そんなアホな、と思うけど、本当にそうだったのだ。


人は、抑えつけられると、反抗したくなるイキモノである。
禁じられていることは、それを守る者にとっては、そのことが憧れとなってゆく。
私は小心者であるので、規則は守る。
それゆえ、中学高校6年の間に、私の中であらゆる憧れが増殖・美化されていった。
卒業したら、爪を伸ばしてマニキュアを塗って、お化粧して、パーマをかけて・・・・・・


さっそく私は美容院に行き、パーマをかけた。
田舎のあか抜けない女子高生だった私は、パーマについて何の知識もなかった。
美容院も、見かけは一応きれいだが、東京にあるようなこじゃれた店ではない。
どのようにしますか、と言われて、私は困ってしまった。
「パーマをかけてください」
と言えばいいのではなかったのか。
「だから、パーマをかけてくるくるさせたいんです」
と私は言った。

美容師は私が言ったとおり、パーマをかけてくるくるにしてくれた。
だから美容師に罪はない。
が、鏡に映った自分を見て、私は愕然とした。
そこには、くるくるになった髪の毛を帽子のように頭にのせた人が、泣きそうな顔で映っていた。
アイドルみたいになりたかったのに(顔の造作は忘れている)
これじゃドラマに出てくる、エプロンをつけて買い物に行く、詮索好きなオバサンだ。

そのあとすぐに、従兄弟の結婚式があった。
結婚式の集合写真には、仏頂面をした、くるくるパーマの私が
1番後ろの列でふてくされている。



今はその学校では、シスターたちは授業を持つこともなく、
校内にある修道院でひっそりと暮らしているらしい。
校則も、時代とともに緩やかになったに違いないが、
街で見かける母校の生徒たちは、勉強はできるのだろうが、なんともあか抜けない。
静岡弁で、熟していない果物を「みるい」というのだが、人にも使うことがある。
成熟していない、ださい、みるい女子学生が重そうなカバンを提げて歩いているのを、
あの子らも、抑制されて増殖する憧れを抱えているのかなぁ、と思いつつ眺めている。





配偶者とのわかれ

2019-10-28 09:18:54 | 日記
ポーリーンは、私がハワイに住み始めて、2番目に知り合った知人だ。
その頃は自分の車もなく、免許すらなく、仕事もしていなかったので、
私が個人として知り合う人は限られていた。
最初に知り合ったのは、郵便配達人のスタン。
おしゃべりなスタンは、誰よりも地域の人たちのことを知っている、人間字引だ。

ポーリーンは、ウォーキングするときによく会うので、話をするようになった。
香港生まれのポーリーンは、マカオに住んでいたミスター・ホーとお見合い結婚し、
いろんな土地に住んだあと、ハワイでリタイア生活をしている。
ミスター・ホーは、体を壊し、30キロほど減量して、毎日、歩行補助器を使って
近所を歩くのが日課になった。
会うと必ず立ち止まって、一言二言挨拶した。
最近、ミスター・ホーを見ないなァと思っていた。
ポーリーンにも会わない。
心配した夫が、彼らの家のドアをノックしても誰も出てこない。
そんな話を家族でしていたところ、ある日、シュートメがポーリンを見かけたので話しかけたら、
ミスター・ホーは亡くなったのだという。

先日、仕事に行こうと車を出したところで、ポーリーンに会った。
私は車を路肩に停めて、ポーリーンに駆け寄った。
なにもかける言葉が出てこないので、黙って抱きしめた。
「I miss him(あのひとが恋しいよ)」
ポーリーンの目から涙がダーッとあふれてきた。
本当に突然、あっけなく死んでしまったのだという。
なんの準備もできていなかったから、自分がどうやって日々を生きているのかよくわからない、と言った。
ただただ喪失感だけが毎日心をむしばんでゆくのだろう。
私や、私の夫を気遣う言葉を重ねて、坂を下りてゆくポーリーンの背中は、
ずいぶん小さくなったようにみえた。



人にとって、どんなできごとが1番のストレスになるか、というデータを
なにかで見たことがあり、
1番が配偶者との死別で、2番目が親族との死別だった記憶がある。
改めて、ストレスランキングを見直してみた。

やはり1位が配偶者や恋人との死別で、2位が親族との死別。
親族の死よりも、配偶者のほうがストレス度が高いことが、
このデータを最初に見たときには意外な感じがしたものだったけれど
今は「そうかもしれない」と思っている。
すべての人が、肉親と良い関係を持てているわけでないのは承知だが
肉親なればこそ、許したり忘れたり、なかったことにしあったりできることがある。
配偶者は、好きで一緒になったにしても、赤の他人。
わかりたい、わかってほしい、というひたむきな気持ちだけで、向き合いながら生きてゆく。
切ろうと思えば切れてしまう関係を、そうはしないで乗り越えてゆく努力は
互いを肉親以上に強く結びつけるのではなかろうか。


ストレスランキング3位は友人の死。
4位が自分の病気や怪我で、5位が離婚。

ちなみに、「配偶者が仕事を辞める、始める」のは26位で、
「仕事量の変化」の次で、「150万円以上の借金」や「家庭内の会話の減少」より
ずっと下だ。
なんだ、私のストレスはたかが26位か。
5位の「離婚」を乗り越えてきたんだから、どうってことなし。

夫は来週いっぱいで今の仕事を辞めることにしたらしい。
今、絶賛求職中。
まあ、それでもウツにならずに元気に求職活動しているし、
あれこれ思うのも言うのもめんどくさくなったし、
健康で、働きたいと思っているのだからよかった、ということにする。