太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

志村けんさん

2020-03-30 09:55:43 | 日記
昨日、姉と友人からほぼ同時にLineが入った。

『志村けんさんが亡くなったよ』

コロナウィルス騒ぎで、姉とは比較的頻繁にやりとりをしており
志村さんが入院したことも、常に情報から遠い私らしくもなく知っていた。
70歳なんて、まだまだ若い。
志村さんは年を重ねて、味が出てくる人だなーと思っていた。
ドリフターズの世代としてはショックだよ、と友人が言った通り
私たち世代はドリフで育った。

小学生の頃、『8時だヨ!全員集合』は国民的なテレビ番組だった。
これを見逃すと、学校で会話についてゆけなくなる。
加藤茶の、「ちょっとだけよ~ん」というセリフを、男子がふざけて
身体をくねくねさせながら真似をした。
いかりや長介が言う「だめだ、こりゃ」も学校で流行した。
志村けんが歌った「東村山音頭」は、盆踊りでも踊ったし、
私が通った美大の比較的近くに東村山駅があり、「ここがあの東村山かぁ」
などと小さく感動したりした。

あの頃のお笑いは、おもしろいことをやって笑わせていた。
ドリフターズは、あくまでも全員集合のメンバーであり、
ほかの番組にも出てきて、互いの私生活についてしゃべったり、相手を貶めて
笑いをとる、ということはしなかったように思う。


ただ、
長患いすることもなく、老醜をさらさず、切って落としたような幕引きは
志村さん自身にとってはそれほど悪いことじゃなかった、と思いたい。
それにしても若かったし、あっけなさすぎたけれども。
さっき、ネットで見てみたら、
古希のお祝いを、お兄さんや甥御さんたちと祝ったという写真があった。
独身だったけれど、近くに泣いてくれる人がいて、私はほっとした。

なにかの折に、「ズンドコ節」を口ずさんでいることがある。
私の記憶の奥の方、年をとればとるほど鮮明に思い出す場所に、
ドリフターズと志村けんさんはいる。

志村けんさんのご冥福を心からお祈りします。