太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

わが終末を思う

2021-05-04 08:25:39 | 日記
自分はまだそれほど年を取っていないと思っているが(きっと10年後もそう言っているだろう)
ふとした折りに、我が終末に思いを馳せるほどの年齢にはなっている。

3月に母の具合が悪くなった時、私はもうそう遠くない未来にある母の死を覚悟し、
場合によってはこのまま母には会えないかもしれないことにも諦めがついた。
そんなことを、姉とLINEでやりとりしていて、
私たちが両親の死を、わりと冷静な気持ちで受け止めていることに気づいた。
それはきっと、両親が生ききってくれたからだと思う。(母はまだ生きてるけども)
昨日までピンシャンしていたのが、いきなりいなくなったり、
まだ逝くには早すぎたりしたら心の準備が間に合わない。
父は、風船の空気が少しずつ抜けていくように、自然に枯れてなくなった。


日本の友人が、5年育てていた鉢植えが元気がなくなって、手を施してみたけれど回復しないのだという。

「でね、思ったの。枯れていきたいなら、枯れてもいいよ、って」

友人の高齢の父親が病気になり、認知症も発症し、いよいよ家族では手に負えなくなって施設に入所したばかりだったから、
その言葉にはことのほか重みがあった。

施設で父の具合が悪くなった時も、母の時も、また、その友人の父親のときも、
家族には決めなくてはならないことがある。

起き上がることも、食べることもままならぬような状態になったとき、どうするか。
つまり病院に搬送し、点滴などの延命措置をするか、自然に任せるか。

本人に確認できる状態ではないから、家族が決めねばならない。
私達姉妹は、そして友人も、自然に任せることを選んだ。
なるべく食べるように勧めるけれど、無理にはしない。
点滴も、生きるのをやめてゆく身体には負担が大きいようで、処理できなくて身体がむくみ、辛いらしい。
再び起き上がって生活できるのなら、つらくても頑張ってほしい。
けれども、ただ死ぬまでの時間を延ばすだけなら、本人はそれを望まないだろうと思うのだ。
ただ、じゅうぶんに生きたかどうかを本人以外が決めることに、まったく引っ掛からないといったらウソになる。




「私たちも、こうして死んでゆくのかねー」

姉が言う。
突然、姉妹を失うということの恐ろしさに身が震える思いがした。
親は、受け入れられても、姉妹は無理。

「のこちゃん(姉)やちーちゃん(妹)を見送る自信はないから、悪いけど1番最初にいかせてもらうワ」

「そんな!そこはほら、年の順ということで頼むよ」

「いやいや、あなたたちは子供がいるけど、私にはいないんだから、私は見送られる権利がある」

「姉妹を見送るというのは、想像以上につらいことだと思うわぁ・・」



私は両親以外、身近な人を見送ることに耐えられない臆病者だ。
夫にも、
「私より1分でも先に死んだら許さん」
と言ってある。
永遠の命を欲しがった、過去の皇帝たちはアホだ。
愛する人達を見送り続けてなお終わらない人生など、それは拷問である。