母が、逝ってしまった。
10日ほど前に入院して(「延命措置」の記事はコチラ)そのまま。
コロナで本来は面会できないところを、亡くなる前日に、妹が母に会うことができたのがよかった。
2年ぐらい、母には会っていない。
せめて一目でも会いたかった。
母なしでは始まらない父が、耳元で「早く来いヤァー」と急かしていたのではないかな。
外出するときに支度が遅い母を、勝手口の外で足踏みしながら「おーい、何やってんだー」とやっていた、そのままに。
父もいないし、子供たちもそれぞれおさまってるし、孫も大人になったし、自分のことも全部は自分でできなくもなったし、もういいかな、母はそう思ったのかも。
父も母も病気で寝付いたわけでもなく、俺は88まで生きる、と常に言っていて本当に88で枯れるように逝った父と、
10日前までグループホームで自力で歩いて普通に生活できていた母は、良い往生だったと思う。
8人きょうだいの7番目だった母は、今頃、先に逝った親やきょうだいたちと同窓会をしていることだろう。
母が子供の頃に亡くした母親とは、72年ぶりの再会。
「義両親の面倒もしっかりみて、よくやったね、偉かったね。ずっと見ていたよ」
そんなふうに迎え入れられたのではないだろうか。
母が抱いているのが、妹。
母の隣が母のすぐ上の姉で、1番仲がよかった。
この叔母はまだ健在で、妹の死にさぞやショックを受けていることだろうと思う。
妹は母が息を引き取ったあとも、しばらく病室にいたという。
「どう見ても眠ってるようにしか見えないんだよね」
どうしても、実感がわいてこない。
日本に行けば、普通に母がいる気がしてどうしようもない。
死に目に会えた父ですら、2年たってもなんとなく、まだ待っていてくれるような気がするのだ。
おかあさん、ありがとう。
大好きだよ。