母の葬儀が、昨日無事に終わったそうだ。
ちょうど日本でお通夜をしているとき、ハワイは夜で、私は眠っていた。
夢に、母が出てきた。
母と私は、合宿所のような施設の、同じベッドに寝ている。
何があったかわからないが、私の人差し指の先がぽろりと取れてしまった。
取れたあとの断面が、アニメのように見えている。
私はおおいに慌てて母を起こした。
「指が取れた!急いで病院に行けばくっつくかも!」
すると母はめんどくさそうに、
「もう遅いでしょ、今行っても。どうせ先っぽだけなんだから、どうってことないしょ。あ、ここにあるじゃん」
と言って布団の隙間から指を拾い、寝てしまった。
指を見ると、人差し指の爪の半分ほど先がなく、見慣れれば、まあそれほど醜いというわけでもない。
まあいっか、と私もそのまま寝た。
翌日、その話を妹にLINEで送ったところ、こんな返事が返ってきた。
「人差し指は母親の象徴で、それが取れたというのは母の死を意味しているんだと思う。
それに対してお母さんが言ったことの意味は、自分がいなくなっても大丈夫、ということなんじゃないかな」
なるほど!
読めば読むほど、そう思えてくる。
この話を聞いた友人が、夢でメッセージを伝えただけじゃなく、それを解釈する人まで用意してるなんて!と言ったのを聞いて、二重に納得。
日本にいる友人と、電話で話をした。
彼女は25年前に母親を癌で亡くしている。
私はその訃報を、当時働いていた父の会社で聞き、とるものもとりあえず友人の実家に駆け付けたのを覚えている。
「この前、部屋で断捨離していたら、母が好きだったスカーフが出てきて泣いたよ」
25年たっても、何かを食べれば、これはお母さんが好きだった、と思い、目頭が熱くなるという。
「でもね、それでいいんだよね」
パンデミック前でも、年に1度しか両親には会えなかった。
彼らが元気でいる時ですら、ハワイに戻ってくるときには、これで会うのは最後かも、と思い、それがとても恐ろしかった。
そのうち、転んで骨折したの、肺炎で入院したの、ということが増えてきて
目に見えて弱ってゆく両親に、私は焦った。
その両親は、いなくなってしまった。
二度と会って昔話をすることもできないけれど、もう会えないかもしれない、という恐ろしさからは解放された。
「あ、お父さんが好きだったお菓子だね」
日本食スーパーで、夫がかりんとうを指さして言う。
今、見るものすべてに、父がいて、母がいる。
庭でにぎやかにさえずる小鳥たちの声に交じって、鳩が鳴く。
その鳴き声が、
おかあさーん、おかあさーん
と聴こえる。