太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

夢に向かって邁進する人

2021-09-10 08:33:36 | 日記
「日本の方ですか」
私担当のレジで会計をしながら、二十代の女性の日本人が私に聞いた。
ここのところ、
「韓国人だよね」(なぜ言い切る?)とか、「ベトナム人でしょう」(自信たっぷりなのが気に食わない)とか言われてばかりだったので嬉しくなった。
やはり日本人には日本人がわかるのだ、そうなのだ。

「そうですよ」
「日本はどちらですか」
「静岡なんです、あなたは?」
私は日本人ではないんだけど、大阪に2年ほどいました」

なに!!日本人じゃない?
私は心底驚いた。顔もアジア系だし、なにより日本語にまったくアクセントがないのだ。

子供の頃から日本が好きで、日本の漫画を読んで日本語を覚え、大学では日本語を専攻して文法をしっかり学んだそうだ。
日本の漫画は日本語で読むし、漢字を覚えるのも楽しくて仕方がないのだという。
「日本語を話すのは、子供の頃からの私の夢でした」


好きでたまらないことがある人を見ると、羨ましい、と思う。
たとえそれが、芸能人の追っかけであろうとゲームであろうと。

私は美大を卒業したので、人は私が絵が好きなのだと思うだろう。
しかし、私が美大に行ったのは、まわりの流れに流されたくないという反抗心からで、毛色が変わっていれば何でもよかったのかもしれない。
高校3年の夏に急遽、普通大学受験から美大に変更したのだけれど、
将来やりたいことも好きなこともなかった私は、どの大学を志望していたかも覚えていない。

美大を出ても、私にはやりたいことなどなかった。
地元に戻り、テレビ局に就職し、父の会社に入り、起きてくる現実に振り回されながら、その日その日を過ごしていた。
私は自分自身とまったく向き合ってこなかったので、自分は何が好きで、どうしたいのか、考えることもなく40年あまり生きていた。


今、私はハワイに住み、作品を創作し、それでお金を得ているけれど、
それとて、私がどうしてもやりたかったことかと言えば、特に「そうしたい!」と願い続けたわけではない。
私がガムシャラだったのは、美大を受験する直前の一夜漬け並みの詰め込みと、
今の夫と出会うための、さまざまな自分内観ワークだけ。
それも、美大は、私をコケにした美術研究所の講師を見返したい一心、
激ハッピーな再婚をしたかったのは、私を振った相手を見返したい一心、という・・・・・

ハワイに住むのもなりゆきで、
絵も、自分で売り込みに行くのは、断られたときのショックが怖いから趣味のままでいいと思っていた。
めんどくさいのは嫌で、絵を売るのだっていつだってやめていいんだから、と
今でも思いながらやっているありさまで、
夢に向かって邁進するとかいったこととは、ほど遠いところにいる。


ハワイでの暮らしは大好きだし、創作することも楽しい。
自分が創ったものを誰かが対価を払って求めてくれれば、やりがいもある。
私は自分がやりたいことをやっていて幸せで、恵まれていると思うけれど、
強い情熱を持ち続けて生きている人たちを見ると、心底まぶしく、羨ましいと思うのである。