太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ひさびさ虹

2015-09-24 07:34:06 | ハワイの自然


今朝の虹。

家からドライブウェイを抜けて、通りに出たとたん、正面に虹がかかっていた。

虹は、ほとんど毎日のように見る。

だから、静岡市民が富士山が見えるのが当たり前になるように、

虹に慣れてしまっていたみたいだ。



この虹は、手が届きそうなところにあった。

ストップサインの、ちょっと向こう側から生まれていた。

写真を撮って、車を再発進するころには、もう消えてなくなるところだった。






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2015-09-23 10:04:55 | 日記
なにかの事件があり、刑事が容疑者の周辺を聞き込みにまわるとする。

夫婦間に問題を抱えている人は、「どうも夫婦仲がぎくしゃくしていたようですよ」と言い、

お金に問題を抱えている人は、「お金のことでもめていたみたいですよ」と言う。

というようなことが、何かの本に書いてあった。



なるほど、人は自分が持っているものを人に映して見ているのか。


毎日、鏡だらけの世界で生きているのだろうな。


醜いもの、受け入れがたいものに出会ったとき、私たちはつい、

『見ているそのもの』を何とかしようとするけれど、

それはまるで、鏡に映った自分の顔の汚れを、

鏡を拭いてキレイにしようとしているようなもんだ。



先日、日本人のお客様が職場に来て、フリーペーパー(無料の情報誌)の置いてある場所を尋ねた。

「エスカレーターを上がって正面の、ラーメン屋さんの横の壁際に台があって、そこにあります」

「あ、そ」

しばらくして、その方が戻ってきて、私を見つけて言った。

「ありませんよ、そんなもの」

「あるはずですよ?」

「ないわよ。居酒屋しかなかったわよ」

「居酒屋?(そんなもんあったっけ・・・)」

「とにかく一緒に来てよ、ほんとにないんだから」

私はとっても手が離せなかったのだけれど、その方は引き下がりそうにない。

仕方がないので一緒に行った。


フリーペーパーは、ちゃんとそこにあった。


「あ、ここのこと?私はエスカレーターを上がってすぐだと思って居酒屋しか見てなかった」


エスカレーターを上がったところには、フードコートで買った食べ物を食べるテーブルが並んでいる。

その方は、そのことを「居酒屋」と思ったのだろう。


「エスカレーター上がってすぐって言いましたよね?」


「正面の壁の、ラーメン屋さんの横って言ったと思いますけど・・・」


するとその方は憤然として言った。

「いいえ、ラーメン屋さんだなんてひとっことも言わなかったわよ。

そう聞いていたらわかったし、それに・・」


まだまだ言い募りそうだったので、

「あ、でもここに情報誌が揃ってますから、それでいいですよね」

と言って、その場をあとにした。

その方はとうとう、ありがとうの一言も言わなかった。




仕事に戻ってから、今あったことを同僚に話した。

ストレスは発散してしまう、というのが私のやりかただ。

アメリカ人の同僚は、

「アメリカ人全員が横柄なわけでもないように、日本人にもそういう人がいるんだね」

と言った。


ちょっと余談。

ここで働いていて思うのだが、

アメリカ人の場合、相手がアメリカ人であっても、英語をあまり理解できなさそうな人であっても、

態度を変えることはあまりない。

しかし日本人の場合、相手がアメリカ人だと比較的行儀がよくて、

日本語が通じる相手だと、途端に横柄になったりすることがある。

言葉の問題なんだろうけど。



発散したあと、私の鏡に映ったもののことを思い、

気が滅入ってきた。

私はあんなものを持っているんだなあ。

消化のよくないものを食べたあとのように、心がいつまでももたれていた。







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おべっかさん

2015-09-21 07:33:37 | 人生で出会った人々
小学校の3,4年の頃、仲がよかった友達に、おべっかさんがいる。

「おべっか」が、こびへつらうという意味であることを知ったのは、ずっと後のことで

苗字が「おかべ」だったので、それをひっくり返しただけだった。

おべっかの意味を知ってから、悪いことをしたと反省した。



おべっかさんは、当時人気アイドル歌手の 朝丘めぐみ に瓜ふたつの

とても可愛い子だった。

夏休みは、毎日のようにおべっかさんが誘いに来て自由プールに行った。

ある夏の日、「飲んではいけない」と言われていた赤玉ポートワインを

家が留守なのをいいことに取り出して、少し飲んでみた。

ジュースのように甘くて美味しいそれを、コップ3分の1ぐらい飲んだだろうか。

そこにおべっかさんが迎えに来て、プールに行ったのだが、頭がぐるぐるして

景色もまわっているように見えてきた。


「顔が茹でたタコみたいになってるよ!」


おべっかさんがそう言って、私を家まで送ってくれなかったら、

私は自由プールで酔っ払って浮かぶ、という新聞記事になったやもしれぬ。



私はおべっかさんの家に遊びに行くのが好きだった。


おべっかさんの家は、車のとおりに面した角にあり、

フェンスからは青々とした芝生が見え、お母さんがピアノの教師だったから

よくピアノの音が聞こえてきた。

門の脇にはきんもくせいの木があって、天窓がある玄関はいつも明るかった。

玄関を入って廊下を右に折れると、右手にキッチンがあり、

そのまま進むとお父さんの書斎があって、廊下を左に曲がると居間があった。

直角に曲がった廊下からは庭が見えて、その廊下の突き当たりのドアをあけると、

おべっかさんの部屋があった。


横長の部屋の真ん中を、形の揃った背の高い引き出しで区切って、

引き出しの向こう側は、お兄さんが使っていた。



おべっかさんは、よく引き出しの中を片付けていた。

何段かの引き出しの中は、ブティックのように美しくたたまれた洋服がおさまっており、

おべっかさんは、丁寧に洋服をたたむと、その上に重ねて、

するすると引き出しを閉めて、

「これでよし」

と言うのだった。

私はそれをカーペットの上に正座して、じーっと眺めていた。


お父さんの書斎は、お母さんが留守のときだけ入れる秘密の場所で、

おべっかさんはそこから、ちょっとエッチな本を取り出して見せてくれた。

今思うと、それは外国の漫画家が描いたもので、たいしてエッチでもなかったのだけれど、

ふたりでどきどきしながら見た。




おべっかさんの家は、なにもかも我が家とは違っていた。

核家族で、男きょうだいがいて、お母さんはいつも家にいてのんびりして見えたし、

すべてが洋風で、優雅だった。

我が家は祖父母もいて、父の会社の若い人が食事をしに来ていたから、いつも大所帯で

母は超多忙、ピアノはレッスンの直前に付け焼刃で練習する程度で、

優雅なピアノの音色のかわりに、祖母が好きな大相撲がテレビから流れており、

片づけが苦手な母の遺伝子か、私も気持ちとは裏腹に引き出しの中がすぐに

ごっちゃりとしてしまう。

猫の額ほどの庭にあるきんもくせいの木を眺めて

おべっかさんの家にあるのと同じ木なのに、なにがこう違うんだろうと思った。



私にとって、少女マンガに出てくるようなおべっかさんの暮らしは憧れであった。



高学年になってクラスが変わると、だんだんおべっかさんとは疎遠になった。

二十代前半の頃だろうか、1度だけ街中でばったり出会ったことがある。

私もおべっかさんも母親と一緒だった。

朝丘めぐみにあれだけ似ていたのだから、さぞや朝丘めぐみになっているだろうと思いきや、

大人になったおべっかさんは、浅丘めぐみよりもきれいになっていた。


その数年後、ご両親が相次いで亡くなって、

角にあった洋風の家も、いつか知らない人たちが住んでいた。

おべっかさんは今どこでどんな人生を送っているのだろう。

「これでよし」

と言って、きれいな引き出しを作り続けているだろうか。




私はこんなにいろんなことを覚えているのに、

ただひとつ、おべっかさんが私をどう呼んでいたのかが思い出せないのだ。

私をヒークン、と呼ぶ子もいたし、違う名で呼ぶ子もいた。

おべっかさんの声も、笑顔もありありと思い出すけれど、

私の名を呼ぶときの、その音声だけが消えていて、

大事ななにかを置き忘れてしまったような気がするのである。












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シルバーウィーク

2015-09-20 20:45:49 | 日記
ハワイで発行している日本の新聞に、

シルバーウィーク、という言葉があった。

「シルバーウィーク?」

ナンジャそりゃ。

調べてみたら、秋にある連休のことらしい。

5月がゴールデンウィークだから、シルバーか。

一体いつからそんな名前がついたんだろう。

私が日本にいる頃にも、そう呼ばれていたんだろか。

どうでもいいんだけど、誰にも聞けないことが、こうやって増えてゆく。



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ハワイの秋

2015-09-19 22:05:57 | 日記
日本はだいぶ涼しくなってきたらしい。

猛暑で具合が悪くなった人が何人出たとか、こちらの新聞でも

取り上げられていたけれど、日本の暑さは尋常じゃない。

私が子供の頃は、真夏でも31度とか32度程度だったように思う。

今年のハワイの夏は暑いと記事に書いたが、昔の日本の真夏の気温ぐらいだ。

ただ、ハリケーンやトロピカルストームが続けて来たので、湿度に慣れていない

ハワイの人達にはかなりこたえたみたいだ。


そんなハワイにも秋が来た。


朝5時半にウォーキングに行く時、夏の間は既に空が白み始めていたが

今は星空の下を歩く。45分歩いて戻ってくる頃、ようやく明るくなり始める。

出勤する時の気温は22度ぐらいで、

夫がビールに氷を入れずに飲む。

眠る時に、天井扇を付けなくてもよくなり、

日本から持ってきたアイスノンの出番もなくなった。

街にはハロウィンのサインが出て来て、ラジオでは

ホノルルマラソンの話も出てくる。

プラバーという渡り鳥が、アラスカから戻ってきているのを今朝見つけた。


ハワイにも、ささやかながら季節の変化はあるんだけれど、

言われてみれば、という程度。

これはやはり、気温だけじゃなくて食べ物ではないかと私は思うのだ。


日本だと、クリームシチューのコマーシャルが始まるとか、

食べ物屋にキノコのメニューや、おでん、栗を使ったお菓子だとか、

夏はきっちりと終わって、秋になるのだと心の切り替えができる。


これが、ワラビ餅の屋台のかわりに焼き芋やラーメン屋台が街を練るようになったら

いよいよ冬になるのだ。

静岡には、駿河湾でしかとれない桜海老の季節が、春と秋の年に2回ある。

もう春だから桜海老だね、なんて楽しみにしたものだ。



日本人は普通に、食べ物を通して季節を感じてきたんだなあと

年中同じものを食べる場所に住んで、しみじみと思う。





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