太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

わたしの、終末

2019-06-21 07:58:34 | 日記
学校を卒業して働き始めたら社会人になるように、
結婚したら第2の人生が始まるように、
退職したら老後なのかと若い頃には思っていたけれど
もっとリアルな意味で老後は、水が砂にしみてゆくように
少しずつ訪れていて、ふと振り向くと
あまりに近くにあっておののく、そういうものじゃないかと今は思う。

祖母の痴呆症が始まりかけたとき、
スーパーで買い物をして、お金の換わりに洋服のボタンを払ったとか
煮物に入浴剤を入れてしまったというようなことがあった。
「あたしゃ何がなんだかよくわかんなくなっちゃったよ」
時々祖母はそう言っていた。
そして今、痴呆ではなく病気のせいもあるのだが
母は洗濯機が使えなくなって、料理を段取りしてすることができなくなった。
祖母の時は私はまだ若く、どちらかというと他人ごとだった。
舞台にいる祖母を観客席でみていた私が、
今、母を舞台の袖からみていて、
次にあそこに立つのは自分なのだと思うと、背中がちりちりとしてくる。

祖父母は、母が介護した。
父母は、姉と妹が介護している。
姉は一人息子がみるだろう。
妹は3人娘がいるから、協力しあってみるだろう。
じゃあ、私は?

子供がいる友人に、
あなたはあとをみてくれる人がいていいね、と言うと決まって、
「子供がいたって当てにはならないよ」
と言う。
それでも、まったく放っておくことはないと思うから
友人は私に気を遣ってくれているのじゃないかと思う。
まあ、私は子供に恵まれなかったのだから仕方がない。

わたしの終末の恐ろしいシミュレーションは、こうだ。
ハワイで、英語を忘れ、日本語も怪しくなってひきこもり、
ここがハワイであることも忘れて、
車の運転もできなくなって、料理もできなくなって、
異臭に駆けつけた警察が、白骨化した私を発見。
そこまで想像して、
死ぬときに苦しくなかったらいいかな、などとも思う。
発見した人には気の毒だけど。

最悪のシナリオを受け入れられたら、あとはもう楽観的になるのみ。
ちびまるこちゃんのじいちゃんのように、
懐かしい友達に会うだけ会って、ぽっくり死ぬ。
誰かのおばあさんは、90代だがとても元気で、
友人と温泉旅行に行って美味しいものを食べ、ああ楽しかったと言いながら寝て、
そのまま死んでしまった。
そういう終末だって、ある。

死ぬことよりも、
自分で自分をコントロールできなくなってゆくことのほうが、ずっと怖い。
できるだけあっさりと終わりたいと思うこのごろである。





休みの早起きは楽し

2019-06-17 16:53:15 | ハワイの自然
日曜の朝。
隔週で月曜に仕事をしている私には、今週の休日はこの日だけ。
俄然、貴重な休みをどう過ごそうか気合がはいるというものだ。

私達は、いつもと同じ朝5時半に起きて、
コーヒーを淹れ、ビーチに行った。
朝6時のビーチ


まだ暑くなる前の時間に、散歩に来る人たちもいる。
はやばやと泳いでいる人もいるし、ヨガや瞑想している人もいる。

空気は涼しいが、海水は温かい。
水に入った瞬間の、「ヒエッ!!」とくるアレがない。
最初にヒエッ!と来ても、我慢して水に入ってしまえば、
じきに水が温かく感じるようになるのは冬で、
最初の1歩から温かいのは、もう夏になっている証拠だ。

しばらく泳いで、
家に戻り、シャワーを浴びて、庭からライムを採ってきて、
朝食のパパイヤにたっぷり絞って食べる。

ビーチから家に戻る途中で。
この時間はまだ曇りだけど、このあと晴天となる。

読む本がなくなりそうになったので(といっても、あと2冊はあるが
そのぐらいになるとワナワナしてくる)
ホノルルのドンキホーテまで行った。
ドンキホーテの中に、BOOKOFFがあるのだ。
日本食材をこれでもかと買い込み、
本を数冊買って、帰りにファーマーズマーケットに立ち寄り
ライチを2パウンド買って家に帰る。

ここまで終えても、まだお昼前。
休日に朝寝をするなどもったいない。

さて、今朝、ビーチに行く前に庭に簡易スプリングクラーを置いて
水を出したまま出かけた。
簡易スプリングクラーは、ホースに繋げて使うもので、
20個ほどの穴から水が噴水のように出て、ゆっくりとまわりながら
広範囲に水が撒けるというもの。
ビーチから戻って、スプリングクラーの場所を変えて、放置。
少しずつ場所を変えながら、結局夕方までずっと水を撒きっぱなし。


緑の芝生を保つには、労力と水と時間が必要なのだ。
このあたりは、ホノルルや西海岸に比べてずっと雨が多いのに
それでもこれだけ水が要る。
さすがにまとまった雨が恋しくなっているけれど、
良い天気が続くと、ソーラー発電でできる電気が増えてきて、
電気会社に電気を売るほどになるから、どっちもどっちか。







脱・自虐のフリ

2019-06-16 12:31:41 | 日記
まったく心にもないことを言って、
それを聞いた相手から、打ち消してもらって安心する。
なんでそんな、しちめんどくさいことをまだやっているのか、私。

「私、もうトシだから」
ぜーんぜんそう思ってないのに、そう言う。
「そんなことないよ、シロは若いよ」
と相手が言って、安心する。
そこでもし、相手が私に同意したら、ものすごく傷つく。
昔、前の結婚相手に、
「私、わがままだから」
と言ったら、すかさず
「そうだね」
と言われて、耳から湯気が出るほど頭にきたことがある。
わがままなのはアンタなのに、勘違いもはなはだしい。
こんな意味のない自虐はもうやめたいと思っているのに
折に触れ、まだそんなことをやっている自分がいる。
この自虐は、私個人のひねくれた性格からくるものなのか、
日本人の謙遜文化からくるものなのか・・・・

アメリカ人の多くは、自分や他人を褒めることも、褒められることも上手だ。
私などはつい、持っているものや服を褒められると
「これ、古いのよぅ」
とか
「安かったの」
なんて言わでもがなのことを言ってしまうことが多い。

 
以前、夫の叔母が、一緒に仕事をした日本人男性の奥さんを褒めたら
「いやー、ぜんぜん片付けもできないし、足も臭いしー」
と言ったといって驚いていたことがあった。
「あの夫婦、大丈夫かしら」
それは日本人の、謙遜したほうが良くみられるという文化というか心理だ
と説明すると、ますます不思議な顔をした。

「つまらないものですが」と言って、ものをあげるんだよと言うと
「なんでつまらないものを人にあげるのよ?」と目をむいた。
「だからー、つまらないものじゃないんだけど、そう言って謙遜するんだよ。
もらったほうもつまらないものをくれたとは思ってないわけ」
「いいものだから人にあげるんだし、いいものだからくれるのだろうと
わかってるのに?」
「まあ、そうだよね」
「ふっしぎーーー」
食べ物をあげるのに、「お口汚し」とか、自分の出版物などは
「お目汚し」とか言うなんてことは、叔母には言えなかった。
口や目が汚れるようなものを、人にあげるんじゃない、と呆れるに決まってる。


アメリカ人に対して、配偶者や子供のことを褒めると
「ボクにはもったいないぐらいの妻だよ」
「そう、彼ってほんとに優しいの」
と嬉しそうに言う。
日本の土地で、日本人同士であったら
「なにこのひと!!嘘くさー」
と思われかねないところだが、慣れてみると、これがなかなか心地よい。
だから私も、持ち物を褒められたらアメリカ人のように
「まあ、ありがとう!」
とあっさり言うように心がけているし、
身内を褒められたら、素直に認めることにしている。
人にものをあげるときも、アメリカ人のように
「これ、すごく美味しいから食べて」
「すごくいいもの見つけたよ、きっと気に入ると思うよ」
と前向きなことを言って渡す。

それにもかかわらず、
私はまだ、相手が日本人であった場合にはなおさら、時に謙遜したくなる。
謙遜は、日本の良い文化とわかっていて、
形式だけの謙遜からは卒業したいと思っているのである。


 




水やりとオーダーメイド

2019-06-15 08:03:32 | ハワイの自然
夫の両親は、まだバカンス中。
ここのところ、まとまった雨が降らないので、
毎朝、庭の水やりをしている。

BEFORE
インゲンの苗が、
AFTER
こんなに育っている。

バナナも、着々と大きくなって、
今日、新しいバナナを発見。

庭をぐるりとまわって、玄関先に続く庭まで水をやると
たっぷり30分以上かかる。
芝生にも、水が必要だし、
ライムやタンジェリンなどの果物は、ホースの先をを根元に置いて
40分ぐらい水を出しっぱなしにする。
そのぐらい水をやらないと、ジューシーな果物にならないらしい。

時間があれば枯れた草を抜いたり、
伸びすぎた茎を切ったりしたくなる。
そんなことをしていたら、毎日1時間以上も庭仕事にかけることになる。
しみじみ、普段、義両親がやってくれていることに感謝。



友人のVickiが、寝室の窓に合わせて作品を創ってくれた。
彼女が創るヒューズドグラスは、素朴でハッピーで、
センスの良さが際立っている。


右上の隅にあるガラスが見えるか・・・
(棚の取っ手に引っ掛けて干してある帽子が生活感タップリ)


拡大。
ベッドに横になったときに、視界に入る窓だ。
ステンドグラスのように、太陽の光を通す。



父と、施設

2019-06-14 08:01:19 | 日記
去年の5月、実家の父は家の中で転んで大腿骨を骨折した。
総合病院に1ヶ月いて、そのあとリハビリ専門病院に3ヶ月いた。
問題は、リハビリ病院のあとどうするか。
本人は家に帰りたいというし、そうしてあげたいのは山々だが、
車椅子なしでも歩けるようになったものの、父は自分が骨折したことを忘れており、
ついおおげさな動作をすれば、せっかくくっついた骨がはずれてしまうという。
常に誰かが動作を見張っているなど、家では無理だ。
ましてや、母は自分のことで精一杯。
体の動きが鈍くなる病気は少しずつ進んでいて、料理もできなくなった。
父は何度言い聞かせても、母はまだ何でもできると思っている。
そんな父が家に戻ってきたら・・

せっかちな父は、母をしじゅう急かしている。
それも大声で、子供のように。
耳が遠いので、テレビを大音響でみる。
タバコはいくら言ってもやめないので、もう好きなだけ吸えばいい。
ただ、外で吸うように姉が言うのに、父は家の中で吸う。
2階に住む姉のところに、煙は煙突のように上がっていき
姉の喘息がひどくなる。
姉が空気清浄機を買って、父の座るソファの横におけば
それは物置きになっている。
たまに外で吸うと思えば、玄関の戸をしっかり閉めないので
姉が飼っている猫が外に出てしまい、義兄と姉が大騒ぎで探す。
父が骨折で入院する直前までの
こんなサザエさんちみたいな賑やかな光景が繰り返されるのが目に浮かぶ。
(姉には口が裂けてもサザエさんちみたい、だなんて言えないが)

日本の介護システムは、私が知らない間にずいぶん手厚くなった。
総合病院にもケアマネージャーという人達がいて、親身に相談に乗ってくれるのだそうだ。
姉と妹は、「ケアマネさん」と頻繁に相談して、
父をどうするのが1番いいかを検討した。
家に戻せないとなれば、施設を探すしかない。
姉は何箇所も施設を見学して、こじんまりしたグループホームに決めた。

そこは、実家から徒歩で2分という至近距離にあり、
もとは個人の邸宅だった建物に手を入れて、1階と2階に合計15名ほどの人がいる。
1月に日本に行った時、父に会いに行った。
2階の父の個室には陽がさんさんと降り注ぎ、空も庭の木や花も見える。
三食ともオープンキッチンで手作りされた食事が出て、おやつも出る。
広々としたリビングルームで、父は車椅子に座って新聞を読んでいた。

「おねえちゃんもお母さんも来てくれるし、ごはんは美味しいし、
チョンガー(独身という意味)になったみたいで、こういうのもいいナァ」

父は三人兄弟の長男で、歳の離れた弟たちに学費がかかるため、
大学には行かずに働き、数年後に結婚し、母が一緒に住み始めた。
だから家族と離れて暮らしたことが1度もなかったのだった。

リハビリ病院にいた頃は、しきりに家に帰りたがり、
夜、母に電話をかけてきては、迎えに来いと言って困らせていたから
穏やかな父を見て、私は安心した。
母も、少し前までは、父を家に戻してあげたいと言っていたけれど、
昨日電話で話したとき
「ときどき、お父さんのこと忘れちゃってるワ。今が1番いいかもしれない」
と言って笑っていた。

姉が父を施設にいれると聞いたとき、胸が痛んだ。
実際に目の前のことをやらねばならないのは姉であり、
遠く離れて何もできない私には何も言う資格はないが、
厄介払いをするような気がして、心が苦しくなった。
でも、家族と毎日喧嘩して過ごすのと、1日数10分会って、
家族と優しい時間を過ごすのと、どちらがいいだろう。



 
父は、ホームの職員の一人を私だと思っていて、私の名前で呼ぶそうだ。
姉が行くと、「シロはよく働いてるよ」と言うらしい。
でも私が行けば、私がハワイに住んでいることも、夫のこともわかっている。
父の世界では私と毎日会っているのなら、それでよかったと思う。
86になった父は、もう家で暮らすことはないだろう。
毎朝、瞑想するとき、
両親を光で包み、心からの感謝をおくる。
家に戻してあげなくてごめんね、ではなく、
おとうさんが幸せな気持ちで過ごしますように、と祈る。