Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

高浜神社(2020年10月6日参拝)

2020年12月14日 | 神社
本日最後の参拝となるのが、
先ほど参った円満寺の鎮守社である高浜神社。

駐車場はあるのですが、
有料で30分100円の設定。

手持ち金100円。

・・・。

30分超えたら出庫出来ねーから心配の余り、
人生で一番悩みました。(大袈裟)

路駐も出来ないので意を決して入庫。
30分一本勝負です。(笑)


所在地:大阪府吹田市高浜町5-34
御祭神:素盞嗚大神、天照皇大神、春日大神、住吉大神、白山大神、吹田祖神二座(火明命、天香山命)
創建:不明
社格:村社、神饌幣帛料供進社


【由緒】


高浜神社の創立年代は詳らかではありませんが、五世紀前後の大和朝廷の頃、
河内の国で栄えた次田邑の豪族次田連の一族が淀川に渡り移住し、
次田村を興したのが吹田の始まりであり、興すにあたって彼らの祖神である火明命、
天香山命の二柱を祀って氏神神社としたのが高浜神社の始まりとされています。

社名は地名高浜にちなんで高浜神社とつけられました。

天平7年(735)僧の行基が訪れ、当社の西方に石浦神宮寺を建立し、
これを浜之堂(現在慧日山常光円満寺)と名付けました。
それと同時に当社に牛頭天王を勧請、お祀りして浜之宮牛頭天王社と呼び換え、
後に高浜神社は神佛習合の両部神道となりました。

建長3年(1251)後嵯峨上皇は吹田殿に御遊幸なされ、
当社にも御参詣遊ばれて社頭の松と題する
御歌「来て見れば千世も経ぬべし高浜の松に群れいる鶴の毛ころも」を御詠みになりました。

天授6年・康暦2年(1380)僧の笠山得仙(道元六世の法孫大徹宗令の弟子)が、
当社の西隣りに護国寺を建立、浜之堂と牛頭山護国寺も七堂伽藍を備えた
足利将軍代々の祈願寺でもあり、この両院の守護神社であった高浜神社は、
遠近衆諸の厚い参詣者がいたが、景勝地として知られた吹田村も同時に軍事上の要地であった。

度々交戦布陣の地となり壮麗だった高浜神社の社殿や門前町も、
1570年~1580年の兵火にかかり焼失。
元和3年(1617)吹田の領主である旗本竹中重定と郷士の橋本氏によって復興する。
元禄3年(1690)六地蔵焼けによって社殿が焼失するが、
元禄6年(1693)に現在の社殿が再建されている。

明治5年(1872)村社に列し、1907年(明治40)には神饌幣帛料供進社に指定される。
明治41年(1908)、神境の村社である神境春日神社、白山神社、
大明神社・南町の菖蒲神社を合祀し現在に至る。


【大鳥居】



【参道】


写真だけ見ると良い雰囲気に見えますが、
参道の左右には有料と月極駐車場がありました。


【御神馬】



【御神牛】





【拝殿】




なかなか立派な拝殿です。


【狛犬】





【本殿】



【高浜えびす神社】



【三社殿】



【笹内大明神社】



【境内】



【神輿庫】



【鶴の松】






御祭神:和加久寿大明神


【高浜殿】


小さな集会所みたいな感じです。

これにて本日の参拝終了。
社務所は無人で御朱印はいただいておりません。(泣)

参拝時間は30分もかからず無事に有料駐車場から出庫。
手持ちの残金0円です。(笑)

さて、さっさと家に帰ろう。

本日の教訓。
自宅出る時は財布の確認を。(笑)