先ほど参拝した西向天神社の真横に、
別当寺の大聖院というお寺があります。
そこにお寺があるのにスルーは出来ませんね。
所在地:東京都新宿区新宿6-21-11
宗派:天台寺門宗
御本尊:不動明王
創建:不明
【縁起】
天台寺門宗の寺院で、梅松山大聖院五大尊寺という。
本寺は不動院といって西向天神社の別当寺であった。
一説によれば寛正年間(1460年代)に牛込重次が創建したというが、
牛込氏に重次という人物は存在せず、同寺は中世には現在の春日部市にあったことが、
はっきりしているので確かなことではない。
西向天神の中興者が玄信大僧都であったことから、
本山派修験との関係が強かったことがわかるが、
大聖院も現在地へ移転する前から本山派に属しており、
移転後は同派の江戸番所を勤めている。
江戸時代の大聖院は聖護院門跡の直末として、
天台宗兼正大先達という位置にあり院家に準ずる格式であった。
明治維新時の神仏分離令で西向天神社と分かれたが、
その際、同社に伝わった文書類を継承し、現在でもそれを所蔵している。
主なものは天満宮由緒書、天満宮出自記、東大久保村地誌書上帳、不動明王縁起、
大聖院境内図書上、紅皿縁起などがある。
【天台寺門宗】
大乗仏教の宗派の一つで妙法蓮華経を根本経典とする。
高祖は中国南北朝時代から隋の時代の天台大師智顗(538~597)、
宗祖は日本平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍(814~891)。
円珍は弘法大師空海の姪の子である。
総本山は長等山園城寺、天台宗寺門派とも呼ばれる。
【案内板】
【本堂】
小さい公民館というか集会所みたいな本堂です。
というか、恐らくご住職はいないんじゃないかなという風情です。
残念ながら内陣すら見れませんでした。
見どころが無いお寺だけに余計に残念ですね。
【扁額】
【不動明王】
台座の下に二体の童子と割れてる後背を見ると不動明王かな。
これにて大聖院の参拝終了。
御朱印は無いと思われます。
別当寺の大聖院というお寺があります。
そこにお寺があるのにスルーは出来ませんね。
所在地:東京都新宿区新宿6-21-11
宗派:天台寺門宗
御本尊:不動明王
創建:不明
【縁起】
天台寺門宗の寺院で、梅松山大聖院五大尊寺という。
本寺は不動院といって西向天神社の別当寺であった。
一説によれば寛正年間(1460年代)に牛込重次が創建したというが、
牛込氏に重次という人物は存在せず、同寺は中世には現在の春日部市にあったことが、
はっきりしているので確かなことではない。
西向天神の中興者が玄信大僧都であったことから、
本山派修験との関係が強かったことがわかるが、
大聖院も現在地へ移転する前から本山派に属しており、
移転後は同派の江戸番所を勤めている。
江戸時代の大聖院は聖護院門跡の直末として、
天台宗兼正大先達という位置にあり院家に準ずる格式であった。
明治維新時の神仏分離令で西向天神社と分かれたが、
その際、同社に伝わった文書類を継承し、現在でもそれを所蔵している。
主なものは天満宮由緒書、天満宮出自記、東大久保村地誌書上帳、不動明王縁起、
大聖院境内図書上、紅皿縁起などがある。
【天台寺門宗】
大乗仏教の宗派の一つで妙法蓮華経を根本経典とする。
高祖は中国南北朝時代から隋の時代の天台大師智顗(538~597)、
宗祖は日本平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍(814~891)。
円珍は弘法大師空海の姪の子である。
総本山は長等山園城寺、天台宗寺門派とも呼ばれる。
【案内板】
【本堂】
小さい公民館というか集会所みたいな本堂です。
というか、恐らくご住職はいないんじゃないかなという風情です。
残念ながら内陣すら見れませんでした。
見どころが無いお寺だけに余計に残念ですね。
【扁額】
【不動明王】
台座の下に二体の童子と割れてる後背を見ると不動明王かな。
これにて大聖院の参拝終了。
御朱印は無いと思われます。