足摺岬から四万十市に移動し、
土佐一条氏が勧請したとされる不破八幡宮へ。
四万十川の下流沿いに鎮座しています。
所在地:高知県四万十市不破1392
御祭神:品陀和気命、玉依姫命、息長足姫命
創建:文明年間(1469-1487)
社格:県社
【由緒】
土佐一条氏の祖である一条教房が応仁の乱を避けて、
一条氏の荘園があったこの地に逃れた。
教房は幡多郡総鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧進し、
室町時代中期の文明年間に八幡宮を建立した。
これが当神社の起こりである。
当神社は土佐一条氏の守護神ともなっていた。
別名を正八幡、広幡八幡宮と称し明治初年現社名とする。
江戸時代には土佐藩主山内家の崇敬も集めた。
秋季大祭は神様の結婚式とも呼ばれ、毎年10月に催される。
五摂家の一つである一条氏から見ると、
逃れてきたこの地は蛮風の色濃い土地であった。
一条氏はこの地に京風の習俗を根付かせる為に、上げ馬、流鏑馬等の神事を行った。
特にこの地で当時盛んであった嫁かつぎと呼ばれる略奪婚の風習を、
京風に矯正する目的で始まったのがこの祭礼である。
【鳥居】
鳥居前に無料駐車場がありました。
【狛犬】
【拝殿】
【拝殿・幣殿】
【本殿】
【御神木】
【境内社】
【御朱印】
土佐一条氏が勧請したとされる不破八幡宮へ。
四万十川の下流沿いに鎮座しています。
所在地:高知県四万十市不破1392
御祭神:品陀和気命、玉依姫命、息長足姫命
創建:文明年間(1469-1487)
社格:県社
【由緒】
土佐一条氏の祖である一条教房が応仁の乱を避けて、
一条氏の荘園があったこの地に逃れた。
教房は幡多郡総鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧進し、
室町時代中期の文明年間に八幡宮を建立した。
これが当神社の起こりである。
当神社は土佐一条氏の守護神ともなっていた。
別名を正八幡、広幡八幡宮と称し明治初年現社名とする。
江戸時代には土佐藩主山内家の崇敬も集めた。
秋季大祭は神様の結婚式とも呼ばれ、毎年10月に催される。
五摂家の一つである一条氏から見ると、
逃れてきたこの地は蛮風の色濃い土地であった。
一条氏はこの地に京風の習俗を根付かせる為に、上げ馬、流鏑馬等の神事を行った。
特にこの地で当時盛んであった嫁かつぎと呼ばれる略奪婚の風習を、
京風に矯正する目的で始まったのがこの祭礼である。
【鳥居】
鳥居前に無料駐車場がありました。
【狛犬】
【拝殿】
【拝殿・幣殿】
【本殿】
【御神木】
【境内社】
【御朱印】