カトリック神田教会から約1キロ離れた場所にあるのが、
日本ハリストス正教会のニコライ堂です。
ハリストスというのはキリストの意味で、
日本ハリストス正教会は1970年以降、
ロシア正教会の庇護下に自治正教会の地位にあります。
こちらの東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)は重要文化財です。
水道橋駅から一駅の御茶ノ水駅で降り、
駅から約2分で到着。
駅から近いのは助かります。(^^
所在地:東京都千代田区神田駿河台4-1-3
宗派:東方正教会(日本正教会)
創建:明治5年(1892)
創設者:亜使徒大主教聖ニコライ
拝観献金:大人300円、中学生100円、小学生以下無料
【沿革】
ロシアから日本に渡り正教伝道を行った亜使徒聖ニコライは、
最初に伝道していた函館を1872年1月に発って上京。
明治5年(1892)9月、神田駿河台にあった定火消の役宅跡地を購入し、
正教伝道の新たな拠点として本会を設置した。
東京復活大聖堂(ニコライ堂)はこの本会敷地内に、
聖ニコライの指導のもと、明治17年(1884)に建設が開始され、
明治24年(1891)竣工、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の
復活を記憶する復活大聖堂として成聖された。
ロシア革命によって成立した共産主義政権から、
日本の正教会の母教会であるロシア正教会は弾圧の対象となり、
日本の正教会は母教会からの支援を失った。
関東大震災ではニコライ堂の上部ドームは崩落し、
全体が火災に見舞われて、土台と煉瓦壁のみが残された。
さらに東京各地にあった本会の他の諸教会も、
四谷教会などを除いて多くが被災した。
大聖堂の建立時にはロシアからの義援金に多くを拠ったが、
関東大震災からの大聖堂の復興に際しては、
世界各国の正教会からの寄付金も少なからず寄せられたものの、
復興の主体は日本人正教徒達であった。
大戦後は日本の正教会はアメリカから主教を迎え信仰生活を継続。
昭和45年(1970)日本正教会が自治正教会として、
ロシア正教会・モスクワ総主教庁から承認を受けると共に、
東京復活大聖堂は日本正教会の首座主教座教会となった。
昭和49年(1974)には大聖堂教会を使用していた五つの教会が合併し、
中央教会として発足した。
この中央教会が1983年に東京復活大聖堂教会と名を変え、現在に至っている。
【亜使徒大主教聖ニコライ】
亜使徒(あしと)は正教会における聖人の称号であり、
使徒に等しい働きをした者、使徒に次ぐ者という意味。
有名なのはマグダラのマリア(亜使徒聖携香女)ですね。
聖ニコライはロシア帝国から日本へ渡り、
正教伝道に生涯を捧げ、日露戦争中も日本に留まり日本で永眠。
その後、谷中墓地改修の際に棺を開けると不朽体が現れ、
ロシア正教会はニコライを日本の亜使徒大主教ニコライ、
日本の守護聖人として列聖した。
【東京復活大聖堂】
教会の駐車場は月極契約者と信者専用です。
美しい。
さすが重要文化財です。
ドーム状の天井があり、日本で初めてにして最大級の、
本格的なビザンティン様式の教会建築だそうです。
【ハリストスフレスコ画】
日本語の聖書を持っていますね。(^^
【ステンドグラス】
【八端十字架】
ロシアスラヴ系の正教会は八端十字架を使うそうです。
さて、ニコライ堂の中に入りましょう。
入るとすぐに受付があり300円を支払います。
中には信徒の方なのか説明していただける女性がいました。
堂内の雰囲気は予想以上に厳かで、
罪人もここに入ったら罪を懺悔すると言っても過言では無い。
それぐらい素晴らしい雰囲気です。
ただ、堂内の1/3ぐらいしか入れないのが、
少し残念でした。
お寺の本堂で言えば内陣と外陣に別れ、
我々異教徒は外陣までしか入れません。
観光客らしい白人の外人達はキリスト教徒だからでしょうか、
内陣の奥にまで入れて羨ましかったよ。
不思議だったのが掲げられていた二つのイコンには、
黒い皮膚のキリストとマリアが描かれていました。
これは何故なんでしょうね。
堂内は本当に、本当に残念ながら撮影禁止でした。
中の様子を見たい方は「stroll-tips」が、
取材されている写真が掲載されていますのでご覧下さい。
https://www.stroll-tips.com/holy-resurrection-cathedral-tokyo/
【聖ニコライ小聖堂】
こちらには入れませんでしたが、
外観からは納骨堂のような雰囲気が漂う。(^^;
【東京大主教館】
これにて東京復活大聖堂の参拝終了。
美しい建築や厳かな雰囲気を堪能させていただいた。
まだ、見学されていない方は是非。
日本ハリストス正教会のニコライ堂です。
ハリストスというのはキリストの意味で、
日本ハリストス正教会は1970年以降、
ロシア正教会の庇護下に自治正教会の地位にあります。
こちらの東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)は重要文化財です。
水道橋駅から一駅の御茶ノ水駅で降り、
駅から約2分で到着。
駅から近いのは助かります。(^^
所在地:東京都千代田区神田駿河台4-1-3
宗派:東方正教会(日本正教会)
創建:明治5年(1892)
創設者:亜使徒大主教聖ニコライ
拝観献金:大人300円、中学生100円、小学生以下無料
【沿革】
ロシアから日本に渡り正教伝道を行った亜使徒聖ニコライは、
最初に伝道していた函館を1872年1月に発って上京。
明治5年(1892)9月、神田駿河台にあった定火消の役宅跡地を購入し、
正教伝道の新たな拠点として本会を設置した。
東京復活大聖堂(ニコライ堂)はこの本会敷地内に、
聖ニコライの指導のもと、明治17年(1884)に建設が開始され、
明治24年(1891)竣工、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の
復活を記憶する復活大聖堂として成聖された。
ロシア革命によって成立した共産主義政権から、
日本の正教会の母教会であるロシア正教会は弾圧の対象となり、
日本の正教会は母教会からの支援を失った。
関東大震災ではニコライ堂の上部ドームは崩落し、
全体が火災に見舞われて、土台と煉瓦壁のみが残された。
さらに東京各地にあった本会の他の諸教会も、
四谷教会などを除いて多くが被災した。
大聖堂の建立時にはロシアからの義援金に多くを拠ったが、
関東大震災からの大聖堂の復興に際しては、
世界各国の正教会からの寄付金も少なからず寄せられたものの、
復興の主体は日本人正教徒達であった。
大戦後は日本の正教会はアメリカから主教を迎え信仰生活を継続。
昭和45年(1970)日本正教会が自治正教会として、
ロシア正教会・モスクワ総主教庁から承認を受けると共に、
東京復活大聖堂は日本正教会の首座主教座教会となった。
昭和49年(1974)には大聖堂教会を使用していた五つの教会が合併し、
中央教会として発足した。
この中央教会が1983年に東京復活大聖堂教会と名を変え、現在に至っている。
【亜使徒大主教聖ニコライ】
亜使徒(あしと)は正教会における聖人の称号であり、
使徒に等しい働きをした者、使徒に次ぐ者という意味。
有名なのはマグダラのマリア(亜使徒聖携香女)ですね。
聖ニコライはロシア帝国から日本へ渡り、
正教伝道に生涯を捧げ、日露戦争中も日本に留まり日本で永眠。
その後、谷中墓地改修の際に棺を開けると不朽体が現れ、
ロシア正教会はニコライを日本の亜使徒大主教ニコライ、
日本の守護聖人として列聖した。
【東京復活大聖堂】
教会の駐車場は月極契約者と信者専用です。
美しい。
さすが重要文化財です。
ドーム状の天井があり、日本で初めてにして最大級の、
本格的なビザンティン様式の教会建築だそうです。
【ハリストスフレスコ画】
日本語の聖書を持っていますね。(^^
【ステンドグラス】
【八端十字架】
ロシアスラヴ系の正教会は八端十字架を使うそうです。
さて、ニコライ堂の中に入りましょう。
入るとすぐに受付があり300円を支払います。
中には信徒の方なのか説明していただける女性がいました。
堂内の雰囲気は予想以上に厳かで、
罪人もここに入ったら罪を懺悔すると言っても過言では無い。
それぐらい素晴らしい雰囲気です。
ただ、堂内の1/3ぐらいしか入れないのが、
少し残念でした。
お寺の本堂で言えば内陣と外陣に別れ、
我々異教徒は外陣までしか入れません。
観光客らしい白人の外人達はキリスト教徒だからでしょうか、
内陣の奥にまで入れて羨ましかったよ。
不思議だったのが掲げられていた二つのイコンには、
黒い皮膚のキリストとマリアが描かれていました。
これは何故なんでしょうね。
堂内は本当に、本当に残念ながら撮影禁止でした。
中の様子を見たい方は「stroll-tips」が、
取材されている写真が掲載されていますのでご覧下さい。
https://www.stroll-tips.com/holy-resurrection-cathedral-tokyo/
【聖ニコライ小聖堂】
こちらには入れませんでしたが、
外観からは納骨堂のような雰囲気が漂う。(^^;
【東京大主教館】
これにて東京復活大聖堂の参拝終了。
美しい建築や厳かな雰囲気を堪能させていただいた。
まだ、見学されていない方は是非。