東灘区の弓弦羽神社の次は灘区へ移動。
灘区と言えば進学校の灘高校や灘の銘酒が思い浮かびますが、
十善寺という臨済宗のお寺があります。
場所は神戸大学の近くで、結構山手にあるので、
歩きでお寺まで行くとしんどいと思います。(^^;
お寺には駐車場が二カ所ありました。
所在地:兵庫県神戸市灘区一王山町12-48
宗派:臨済宗永源寺派
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:天喜5年(1057)
開山:信覚大師
【縁起】
当山は後冷泉天皇の天喜5年(1057)信覚大師の手によって創建。
往時には七十三の僧房と七堂伽藍を擁し、又、景勝の地の和も得て、
誠に壮観であったと伝えられています。
その後、兵火に遭遇し、総てを灰儘に帰するところとなり、
禅宗の高僧宇光寂室禅師はこれをたいそう惜しまれ、
諸堂や十三院を造営されました。
天正年中(1573~1592)織田信長の兵火で、また堂宇は焼失の憂き目にあい、
現在の寺観は元禄の高僧、永源寺・仙霊祖竺禅師の志を継いだ、
高羽の楠本三左衛門高重によって寛文5年(1665)に再建され、
宝暦11年(1761)に呑海禅師が来てから完成されたものであります。
御本尊には十一面千手観音菩薩を安置し、脇仏として弘法大師を、
又、諸天皇を祠っております。
最初の兵火と伝えられるのは元弘3年(1333)赤松円心が、
播磨国から攻め上がり摩耶山城によって京都の北条軍を悩ました時で、
円心が十善寺を戦いに利用した為、この地方は戦場となり寺が焼かれた。
それ以後、寺は元の地から現在の地へ移ったと言われています。
一王山と言う山号は寺の南の地名であった一の尾を一の王にとって山号とし、
王は十善、神は九善という所から寺号を十善寺と称しました。
背山には八十八ヶ所の霊場があり、
毎月21日にはお大師様の日としてお供養しております。
【仁王門】
予想以上に立派な仁王門です。
これは見事でしたね。
【仁王像】
【境内】
臨済宗のお寺の雰囲気は余り感じられない。
【本堂】
本堂は閉まっているかと思ったけど、
扉を開いたので内陣を見ながら参拝出来ました。(^^
【案内書】
なーんだ、駐車場は有料だったのね。
勿論、200円支払いましたよ。
【鐘楼堂】
【弘法大師】
【役行者】
【不動明王】
弘法大師に役行者に不動明王像が祀られている。
ここは本当に臨済宗のお寺なのかと疑ってしまう。(^^;
だから臨済宗の雰囲気を余り感じ無いんだな。
【閻魔堂】
閻魔大王さんまで居ましたわ。(^^;
【十三重石塔】
【本堂】
本堂の裏側です。
【弘法大師・薬師如来】
【お遍路ミニ霊場】
八十八ヶ所霊場までありましたよ。
【薬師堂】
【御堂】
【不動明王】
【石塔】
二層の石塔にはそれぞれ弘法大師と思われる石像が安置されていました。
【地蔵尊】
【早起観音】
このような名前の観音さんは初めて知った。(^^;
【石像】
今は臨済宗のお寺ですが、
真言宗の雰囲気が色濃く残っていましたね。
勧修寺長吏、東大寺別当を経て東寺長者となり、
仁和寺別当を兼ね、高野山座主になった信覚大師が創建したお寺だけある。
御朱印はありますが、ピンポンを押さず次の地へ急ぐ。
灘区と言えば進学校の灘高校や灘の銘酒が思い浮かびますが、
十善寺という臨済宗のお寺があります。
場所は神戸大学の近くで、結構山手にあるので、
歩きでお寺まで行くとしんどいと思います。(^^;
お寺には駐車場が二カ所ありました。
所在地:兵庫県神戸市灘区一王山町12-48
宗派:臨済宗永源寺派
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:天喜5年(1057)
開山:信覚大師
【縁起】
当山は後冷泉天皇の天喜5年(1057)信覚大師の手によって創建。
往時には七十三の僧房と七堂伽藍を擁し、又、景勝の地の和も得て、
誠に壮観であったと伝えられています。
その後、兵火に遭遇し、総てを灰儘に帰するところとなり、
禅宗の高僧宇光寂室禅師はこれをたいそう惜しまれ、
諸堂や十三院を造営されました。
天正年中(1573~1592)織田信長の兵火で、また堂宇は焼失の憂き目にあい、
現在の寺観は元禄の高僧、永源寺・仙霊祖竺禅師の志を継いだ、
高羽の楠本三左衛門高重によって寛文5年(1665)に再建され、
宝暦11年(1761)に呑海禅師が来てから完成されたものであります。
御本尊には十一面千手観音菩薩を安置し、脇仏として弘法大師を、
又、諸天皇を祠っております。
最初の兵火と伝えられるのは元弘3年(1333)赤松円心が、
播磨国から攻め上がり摩耶山城によって京都の北条軍を悩ました時で、
円心が十善寺を戦いに利用した為、この地方は戦場となり寺が焼かれた。
それ以後、寺は元の地から現在の地へ移ったと言われています。
一王山と言う山号は寺の南の地名であった一の尾を一の王にとって山号とし、
王は十善、神は九善という所から寺号を十善寺と称しました。
背山には八十八ヶ所の霊場があり、
毎月21日にはお大師様の日としてお供養しております。
【仁王門】
予想以上に立派な仁王門です。
これは見事でしたね。
【仁王像】
【境内】
臨済宗のお寺の雰囲気は余り感じられない。
【本堂】
本堂は閉まっているかと思ったけど、
扉を開いたので内陣を見ながら参拝出来ました。(^^
【案内書】
なーんだ、駐車場は有料だったのね。
勿論、200円支払いましたよ。
【鐘楼堂】
【弘法大師】
【役行者】
【不動明王】
弘法大師に役行者に不動明王像が祀られている。
ここは本当に臨済宗のお寺なのかと疑ってしまう。(^^;
だから臨済宗の雰囲気を余り感じ無いんだな。
【閻魔堂】
閻魔大王さんまで居ましたわ。(^^;
【十三重石塔】
【本堂】
本堂の裏側です。
【弘法大師・薬師如来】
【お遍路ミニ霊場】
八十八ヶ所霊場までありましたよ。
【薬師堂】
【御堂】
【不動明王】
【石塔】
二層の石塔にはそれぞれ弘法大師と思われる石像が安置されていました。
【地蔵尊】
【早起観音】
このような名前の観音さんは初めて知った。(^^;
【石像】
今は臨済宗のお寺ですが、
真言宗の雰囲気が色濃く残っていましたね。
勧修寺長吏、東大寺別当を経て東寺長者となり、
仁和寺別当を兼ね、高野山座主になった信覚大師が創建したお寺だけある。
御朱印はありますが、ピンポンを押さず次の地へ急ぐ。