鈴木ヒロミツさんが肝細胞がんで亡くなったのは、昨年の3月14日、
まだ若いといっていい、60歳でした。
この本は亡くなるほんの10日ほど前、3回にわたって行われたインタビューを忠実に書き起こしたものです。
1年前の今ごろは1月6日に医師から余命3カ月と告知されて、不安と病気からくる苦痛と闘っていました。
眠れないまま、告知直後から家族にあてて、ラブレターのような遺書を残します。
そして、ヒロミツさんは延命治療をせず、自宅で家族と過ごす道を選ぶのです。
以前と同じように食事をし、お酒を飲み、大好きな直輸入のマルボロを吸います。
美雄永満愛大喜善居士と、自分で戒名までつけます。
モップスのヴォーカルや役者としてのヒロミツさんのファンだったわけではありませんが、同世代の活躍をリアルタイムで見てきました。
シャカリキに仕事をするタイプではなかったようで、都合3回、計6年間、大好きなアメリカで家族と暮らします。
ヒロミツさんも千の風になって、カリフォルニアや家族の住む東京の空を吹きわたっているんでしょうか。
ヒロミツさんは最後にこう語ります。
「皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください」と。
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まだ若いといっていい、60歳でした。
この本は亡くなるほんの10日ほど前、3回にわたって行われたインタビューを忠実に書き起こしたものです。
1年前の今ごろは1月6日に医師から余命3カ月と告知されて、不安と病気からくる苦痛と闘っていました。
眠れないまま、告知直後から家族にあてて、ラブレターのような遺書を残します。
そして、ヒロミツさんは延命治療をせず、自宅で家族と過ごす道を選ぶのです。
以前と同じように食事をし、お酒を飲み、大好きな直輸入のマルボロを吸います。
美雄永満愛大喜善居士と、自分で戒名までつけます。
モップスのヴォーカルや役者としてのヒロミツさんのファンだったわけではありませんが、同世代の活躍をリアルタイムで見てきました。
シャカリキに仕事をするタイプではなかったようで、都合3回、計6年間、大好きなアメリカで家族と暮らします。
ヒロミツさんも千の風になって、カリフォルニアや家族の住む東京の空を吹きわたっているんでしょうか。
ヒロミツさんは最後にこう語ります。
「皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください」と。