部屋にはいると母さんはベッドで向こうむきに眠っていた。のぞき込んでも目をさまさずに口をもぐもぐしていた。もぐもぐしている口は歯が一本もないので小さな穴にうすい布を押し込んだようなようなしわが出来ていた。
こんなはじまりのシズコさんは佐野洋子さんの母親の名前です。
母さんのその口には、戦後、ふとん皮で作った縞のもんぺの上下を着て、田んぼの真ん中に住んでいた時でさえも、口紅がつけられ、鏡に向かって、「ムッパッ」と、最後の仕上げをしていたのだそうです。
佐野さんご自身、病に冒されながら、認知症の母親を老人介護施設に見舞い、死を見届けるという、重いテーマの本です。
にもかかわらず、佐野さんの文章には明るい色がついていて、軽やかなリズムを感じます。
4歳の時、手をつなごうとして振り払われた時から、一度として母親にふれたこともなく、知恵遅れの弟妹――佐野さんからは叔父叔母にあたります――にも冷たかった母親を人間としても嫌っていました。
佐野さんは、「私は母さんが母さんじゃない人になっちゃって初めて二人で優しい会話が出来るようになった」と綴ります。
「小さい骨ばかりになった母さんと何度も何度も抱き合って泣きじゃくった」とも綴ります。
シズコさんがベッドの中にいるときは佐野さんもベッドに入るのが習慣になります。触れ合うことのなかった一生分を補うかのようです。
そんな時の二人の会話はトンチンカンで、可笑しくて、忘れるのがもったいなくて、ノートにメモしたそうです。いったい、どんな会話だったのでしょう。知りたいです。
「母がぼけてくれて、本当に良かった。ぼけたから、この本も書けたのです」と、
佐野さんはあるインタビューに答えていました。
佐野さんの母上は2年前に93歳でなくなり、70歳の佐野さんは現在も闘病中です。
重い現実だけれど、救いのある本です。

こんなはじまりのシズコさんは佐野洋子さんの母親の名前です。
母さんのその口には、戦後、ふとん皮で作った縞のもんぺの上下を着て、田んぼの真ん中に住んでいた時でさえも、口紅がつけられ、鏡に向かって、「ムッパッ」と、最後の仕上げをしていたのだそうです。
佐野さんご自身、病に冒されながら、認知症の母親を老人介護施設に見舞い、死を見届けるという、重いテーマの本です。
にもかかわらず、佐野さんの文章には明るい色がついていて、軽やかなリズムを感じます。
4歳の時、手をつなごうとして振り払われた時から、一度として母親にふれたこともなく、知恵遅れの弟妹――佐野さんからは叔父叔母にあたります――にも冷たかった母親を人間としても嫌っていました。
佐野さんは、「私は母さんが母さんじゃない人になっちゃって初めて二人で優しい会話が出来るようになった」と綴ります。
「小さい骨ばかりになった母さんと何度も何度も抱き合って泣きじゃくった」とも綴ります。
シズコさんがベッドの中にいるときは佐野さんもベッドに入るのが習慣になります。触れ合うことのなかった一生分を補うかのようです。
そんな時の二人の会話はトンチンカンで、可笑しくて、忘れるのがもったいなくて、ノートにメモしたそうです。いったい、どんな会話だったのでしょう。知りたいです。
「母がぼけてくれて、本当に良かった。ぼけたから、この本も書けたのです」と、
佐野さんはあるインタビューに答えていました。
佐野さんの母上は2年前に93歳でなくなり、70歳の佐野さんは現在も闘病中です。
重い現実だけれど、救いのある本です。