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伊勢神宮の御師は元祖旅行業者、大日本帝国政府により廃止消滅

2023-01-05 17:55:36 | 宗教

 2021年5月15日の朝日新聞beの「はじまりを歩く」が、「お伊勢参り」を取り上げ、「御師」についても触れていた。 

 御師とは、日本中世においては神職(権禰宜層)であり、信仰の布教者であった。しかし、近世では、民衆の寺社参りが盛んとなるにつれ、「神人」の性格を失い「商人」化する。伊勢では、神宮との組織的関係を断ち、独立した「口入れ神主」と化した。御師の数は江戸中期頃には600家以上あったようだ。また、それぞれの御師は縄張り「カスミ」を定めていた。

 御師の主な商業活動は、毎年一度、縄張り内の「檀家」に「大神宮」と書かれた「神札」(神宮大麻)を配布する事で、大麻は檀家が神宮に参って、祈願すべきところを、御師が代行して祈願したものとする、証印であった。

 神宮大麻に次ぐ「商品」は「音物」といわれた伊勢みやげの類であった。また、御師の大きな収入源は、伊勢神宮に参る檀家宿を提供する事であった。御師の家に宿する檀家は、神饌料(御供料)・神楽料・神馬料を奉納という名目で支払う慣習であったが、いずれも御師の収入(諸々の祈祷はすべて御師の家で行われた)となった。ちなみに御師の商業活動を今日の旅行業務に照らしてあげると、

縄張り「カスミ」の管理(顧客管理)、伊勢講の組織化(ツアーの企画)、「講」金の管理(旅行積立金の運用)、道中手代の派遣(ツアーコンダクターの添乗)、出迎え(送迎)、祈祷、参宮の案内(ガイドの手配)、宴会のもてなし(宴会のセッティング)、宿泊の世話(宿泊の手配)、みやげの手配(土産の斡旋、記念品の贈呈)、古市への案内(歓楽街へのガイド)などである。

以上の事から、御師とは現在のように分業化する前の総合的な旅行業者、元祖旅行業者といってよい存在だったのである。

(2021年5月16日投稿)

追記:神聖天皇主権大日本帝国政府神道国教化のため、1871年、寺社領の上知令、神社の社格制定、氏子調べ制度の新設など、重要措置を相次いで実施した。5月14日には神社はすべて国家の祭祀であるとの太政官達を出し、全神社の公的性格を確定した。全神社の本宗と定めた伊勢神宮に対しては、7月、近衛忠房を神宮祭主とし、神祇官の直接の指揮下で、改正を行った。内外宮の別を明確にし、内宮を上位に置き、祠官の職掌を改め、伝統的に「御師」が持っていた「大麻」(神札)や「神宮歴」の製作配布権取り上げ、本宗にふさわしく作り変えられたのである。

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記紀の神代史は天皇支配正当化のための政治的創話とした津田左右吉の口封じをした神聖天皇主権大日本帝国政府

2023-01-05 06:20:25 | 皇室

 今日の学校における歴史教育において、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府が自由主義的な学問研究に対して行った弾圧の教材例として、それも天皇(皇室)に関係した研究内容に対して行った弾圧例として取り上げられている人物に、津田左右吉がいる。

 阿部信行内閣時の1939年10月、極右思想の蓑田胸喜一派が、東大法学部に新設された東洋政治思想史講座へ出講した津田左右吉に対し、彼の著述の中に「大逆思想」があると騒ぎ立てた。その著述とは、『神代史の研究』(1924年)、『古事記及び日本書紀の研究』(1924年)、『日本上代史の研究』(1930年)、『上代日本の社会及び思想』(1933年)の4著(これらはいずれも米内光政内閣時の1940年2月発禁処分)であった。

 彼の主張は、古事記・日本書紀神代史は、建国の事情を述べた歴史でもなく史実でもなく、古代人の宇宙観を表現した神話でもなく、天皇(皇室)の由来と天皇(皇室)による日本統治の必然性、正当性を理由づけるための「政治的要求」から作り出された「政治的述作(創話)」であるというものであった。

 つまり、中国の歴史書である、いわゆる『魏志倭人伝』などの研究を踏まえて、日本の古代史について、「邪馬台国」や女王「卑弥呼」の存在などを学生に講義したのであるが、この事を体育会系の学生が官憲に通報した(チクった)のである。それを受けて神聖天皇主権大日本帝国政府は、津田を、翌年の1940年、出版法違反で起訴した。さらに東条英機内閣時の1942年には「皇室の尊厳を侵害した」として有罪とした。ちなみに、近衛内閣時の1940年11月には「紀元2600年記念式典」を実施した。

 しかし、津田の主張は今日の歴史学界の定説となっており、学校では正当な歴史として教育している。

 しかし、大日本帝国憲法に基づく神聖天皇主権大日本帝国政府が崩壊した後に成立した日本国憲法に基づく「日本国」政府においても、昭和天皇(皇室)は、いわゆる「人間宣言」(天皇を利用しようとした米国の意向と天皇制存続を目論んだ天皇との間で合意)で、「現人神」である事を否定するという形で、天照大神を祖とする神の裔」である事を守ったし、平成天皇(皇室)も自民党に支えられてそれを継承し、現天皇(皇室)も安倍自公政権に支えられて同様に継承している。そしてまた、GHQの占領政策である「神道指令」(1945年12月15日)により廃止を命じられたにもかかわらず、その古事記・日本書紀の神代史(加えてそれに基づいて樹立された、国家神道を精神的支柱とした神聖天皇主権大日本帝国政府が制定したが、日本国憲法制定により廃止された皇室令皇室祭祀令など)に基づいて、「神武天皇」を初代天皇と位置づけた「神武天皇祭」や、「神武天皇没後2600年祭」などを含む「宮中祭祀(皇室神道)」を継続している。このような天皇(皇室)の行為姿勢は科学的な歴史研究の成果を無視した行為である事はもちろん、憲法を蹂躙するものであり、主権者国民を愚弄するものであると言って良い。

 ちなみに、古事記・日本書紀に書かれている事は、天照大神から地上の支配権を与えられたその孫ニニギノミコトが九州に天孫降臨し、ニニギノミコトの曾孫に当たるカムヤマトイワレヒコが九州から大和に遠征し、初代神武天皇となり、その初代神武天皇からずっと前方後円墳がつくられている時代を通じて、さらに前方後円墳時代が終わってから100年後の律令国家の王者、つまり天武天皇に至るまで断絶する事なく、神の子孫である事を支配の根拠とする王家(天皇)が続いたというものである。

 最後に、津田左右吉が1946年に書いた天皇讃美の文章を紹介しておこう。

「二千年の歴史を国民と共にせられた皇室を、現代の国家、現代の国民生活に適応する地位に置き、それを美しくし、それを安泰にし、そうしてその永久性を確実にするのは、国民みずからの愛の力である」

(2020年3月23日投稿) 

 

 

 

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