今日のNHK日曜美術館は、父が影響を受けた芹沢介でした。面白くて、ずっと見入ってしまいました。飛蚊症もあまり気になりませんでした(夢中になることが一番なのかも)。
見終わってから、また備後屋に行きたくなりました。
父も、本当は沖縄に行きたかったことでしょう。父も、紅型が原点でしたから。
父が亡くなってからもう17年。私の結婚後の人生は、両親に翻弄されていました。最初は母の闘病で退職し、次が父の闘病に寄り添い、看取りました。
父はアマチュア画家でした。銀座の個展の貸画廊を探したのも私。仕事を休んでいつも手伝いました。父の絶筆の絵の制作中、彼が動けなくなり、途中から糊を落としたのは私でした。彼が編集した画集の出版は、死後でしたし、回顧展やその後の展覧会と、私はずっと父のことにかかわってきました。実はそれが苦痛でした。自分の人生を、自分の思うように生きられないのが、悔しかったのです。
でも、夫も亡くなった今、やはり、同じ血が流れているのでしょうか、父が好きだったものには何か、心が動きます。ようやく、わだかまりをなくして、向き合えることになったのかな。
若いころに、本当に一生かけられるものに出会いたかった。私はみな、中途半端。まあ、時間は取り戻せませんから。気がついた時から、意志を貫けばいいんです。
今からでも、遅くはない。
ところで、便利だからとネットで買い物をすると、次から次へとショップからメールが届きます。今ならお買い得とか、クーポンがどうのとか。必要だから買い物をしたのであって、必要もないのに、買い物はしたくない。うんざりするほど、カタログが届く。この風潮って、変じゃありませんか?消費がすべてではないはず。
買うことで世の中が回るという構造が、もう古いんじゃないでしょうか?富とは、お金そのもの?買うために働くという構図も、まるでくるくるまわる輪の中のハツカネズミのような気がするんです。
私はもう、そういう型にはまった生き方はしたくない。