新聞販売店のプレゼントにあたった招待券で、行ってきました。久しぶりの都心、地下鉄を乗り継いで・・。通勤ラッシュを避けると、都心でもそれほど混んでいなくて快適でした。
思うのですが、シルバーシートには若い者もおばさんおじさんお年寄りも見な座って、スマホや携帯はいじるのが当たり前になっています。だったら、あの「携帯禁止」の表示も意味ないし、やめたらどうでしょうか。
昨日は、サラリーマン風の若者が電車のドアに膝を立てて片足の裏をつけてストレッチでもしているのでしょうか。でも、ドアは土足をつけるところではありません。混んできたら、誰かがドアにくっつくかもしれない、そんなところに土足です。観察力がないのでしょうか、周りのことを考えない、自分勝手な人ばかり。だから電車に乗ってどこかに行くのがつらいんです。
国立近代美術館は、アルファベットで略称があるんですよね、でもよくわからなくて。
それほど混んではいませんでしたが、見ごたえは十分ありました。ゲテモノを続けろと小林古径に言われ、100歳を超えても描き続けた彼女は、あこがれの存在です。ゆっくり見た後、外に出てアンケートに答えて、そこに常設展もこれから見るという項目に〇をしてしまった手前、のこのこと見に行きました。収蔵展示も、工夫していろんな角度から、興味を持ってもらおうという努力が、涙ぐましいと思いました。4月に入って、新人もいるんでしょう、何せ、国立ですよ、それに、私がなれなかった学芸員です、がんばれー!
もう下に降りようと思っていたら、「眺めのいい部屋」にも是非と案内されて、入った部屋の眺めに、本当にびっくりしました。それはそれは、もう、スカイツリーでも東京タワーでもなく、最高の眺めなんですよ。こんな場所があるなんて、もう、幸せをひしひしと感じました。ここは、東京の観光スポットのイチオシ間違いなしです。
携帯から撮ったので、よくわからないでしょう。
皇居の周りのお堀がよく見えて、ああ、ここは江戸城だったんだと感激。
一人静かに、この絶景をぼんやり見ていました。
その後、また収蔵作品を見て、あの、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」にも巡り合いました。
戦争の悲惨さ、たまりません。片岡球子の絵にも、これから出陣するんだろう特攻隊の恰好をした男性の絵がありました。
先日、天皇皇后両陛下がパラオに行かれました。美智子様だって体調がよかったわけじゃないけれど、どうしても生きている間にお二人で行きたいという希望が強くあったんだと思います。この国で、一番平和を体現しているのが、彼らなのでじゃないでしょうか。本当に、頭が下がります。
二度と、「天皇陛下万歳」と若者が死んでいく戦争を起こしてはならないのです。日本人の無責任体質は、また同じようなことを繰り返してしまいそうで、怖い。この日本国ったって、安倍さんが思っているのはたかだか明治以降の国でしょう、冗談じゃないですよ、明治の男尊女卑なんて、全く許せないものでしたから。
太古の時代から、ずっとずっと守り続けてきたものがあります。たかだか人間一人の一生なんて100年にも満たない(片岡球子さんは100歳超えてましたけど)。人の命より重いものはないと、以前書きましたが、その命を賭けて守ってきたものがあるのです。神社だったりお寺だったり、国宝の建造物などはそういうものです。それを、最近、油をかけたり傷つけたりしている事件が頻発していますが、絶対に許せません。テロです、それは。
もちろん正当に罰を受けるべきですが、もっともっと大きな深い罰を、当然受けるものだと思いますよ(と、陰陽師ではないけれど、私も呪いをかけました)。
歴史とは、長い長い時をかけて受け継いできたものの総体なんだと思います。事件が起きなくても、当たり前のことがずっと続いてきたのです。うまく表現できないけれど、そういうものを勉強したくて、私は史学科を選んだのではないかと、卒業して30年以上たち、ようやく思い当りました。
歴史の大事なものが、この今の一瞬で壊されるって、悲しいことです。原発事故もそう。あの土地で平和に生きてきた人たちを、あの事故が追い出してしまいました。許せないです。
戦争のあと、沖縄にばかり米軍基地が作られ、住んでいた人たちは土地を奪われたのです。いまだに返してもらっていないんですよ。日本はアメリカの属国みたいに、歴代総理はアメリカのことしか考えていないみたい。独立国っていえるんですか?
明日から英語が公用語だと言われたら、私はもう無理。それは、日本が韓国併合したとき、同じことをしたんです。
一人一人が平和に暮らせる国であってほしい。
と、話を戻して、美術鑑賞のあと、小川町まで行き、キハラのショップでクロス紙5種類を購入、そして新宿に戻ってオカダヤで、いろいろ買い物しました。その前に、疲れ果てて新宿日口のサンマルクカフェでカプチーノを飲みました。あとからおじいさんが灰皿持って隣に座るのでぎょっとして、喫煙ルームを指さしてそっちに行ってもらいました。
分煙が進んで、当たり前になりましたが、昔は、たばこの煙を隣で吸う羽目になることはよくあったんですよね。夫は禁煙してから肺がんになりました。私も彼の分が体に残っていたら、いつかそうなるかもしれません。愛川欣也さん、肺がんで亡くなったそうですが、夫と同じ小細胞がんだったのでしょうか、気になります。
最近、ユーミンのCDを聴きながらカルトナージュしています。「リフレインが叫んでる」を聴くと、涙が出ます。
どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう、二度と会えなくなるなら・・