去年の暮れに親友が自殺しました。私の引越しを手伝ってくれて、本当にいろいろお世話になったのに、亡くなる直前、私に「いろいろ、ありがとう」とのメッセージを書いていました。全く気がつかなかった。その時、返事していれば止められたのか・・。こちらのほうが、「いろいろ、ありがとう」だったのに。
亡父は高尾山麓で母が亡くなった後も一人暮らしをして絵を描いていました。そして母と同じようにがん闘病。不便だからと、夫の親が持っていた家をリフォームして準備していたけれど間に合わず、父は亡くなり、そのリフォームした家に父のものを運び、父の飼い猫と私が引っ越したのが97年6月ころ(父の死は3月)。賃貸団地暮らししていましたが、夫は飼い猫とそのまま残り、別居すること3年。猫同士が仲が悪いので、猫のための別居でした。父の家からは絵と父の収集した和紙など、いろいろ持っていきました。夫と猫が後から来ての同居は、夫にとっては居心地が悪かったのかもしれません。なにせ、私が先に居ついていたんですから。
夫が2012年に亡くなり、その家を売却して義母の老人施設費用に充てるようにして、私はここに引っ越してきたのが2016年10月。その時には父の絵も、知り合いや親せきなどにもらってもらい、残ったものは姉に預け、仏壇も姉にお願いして身軽にこちらに来たのです。和紙は大量にありましたが、姉がまず取って、残りでほしいものを親友にもらってもらいました。泣く泣く、前の家に置いて行って処分されたものもありましたが、私もこちらに持ってきたものがあります。親友のご主人が、処分するしかないのかと言ってきたので、捨てるのなら着払いで送ってとお願いしました。車で持ってくるというのを断りました。これは、相手にはとても失礼だったとは思いますが、この家には営業や配達以外の男性は絶対に入れないと決めていたからです。被災猫ハッチはびびりだし、私も一人暮らしの女性の家には踏み込んできてほしくない。
結局、ご主人は配送料を持ってくれて先日、ものが届きました。
私は父ではないので、その和紙の価値がわかりません。でも、下町で家族で暮らしていたころ父が集めたものもあるようです。全国から集めていました。その中でも、「小出和紙工房」や越中和紙の「悠久紙・東中江和紙生産組合」など、今も続いている和紙生産者がいました。50年近く前の和紙も、脈々と受け継がれているんですね。
その貴重な和紙を、俳句の投句用の短冊に切っています。和紙1枚を3段に分割、それを半分、半分、半分と切ってから、3等分にすると、4センチ幅のちょうどいい短冊になりました。せめて、身近で使いたいから。手漉き和紙、とてもいいものです。
データでやり取りする時代に、あえて和紙を使う。なんて気分がいいのでしょう。アナログの極致ですね、しあわせ。でも、旧仮名は使いたくない、私は今の時代に生きていますから。和紙と筆は、電源がなくても使えます。AIや、ほとんど多くのものは、電気がないと動かない。でも、電気がなくて困るのは人間だけですよね。