さきほど、NHKの「スタジオパークからこんにちは」というインタビュー番組で、久し振りに放送作家の倉本聰さんを拝見しました。なつかしいです。私が学生時代からの憧れの人でしたから。
そういえば、この同じ番組で何年か前、ゲストの周りの人のインタビューということで彼が出演し、そのときの番組の司会者の堀尾さんが、慌てて、今度是非ゲストで出てくれとお願いしていたのを思い出しました。かつて、NHKと大河ドラマで喧嘩別れしていた背景があったのでした。それから、彼は、衛星放送のドラマを作り(玩具の神様)、それから、3人合作(野沢尚、三谷幸喜、倉本聰)でドラマを作ったりしていたんですよね。あれはほとんど見ました(2作ずつ合計6話)。
彼は、ちょっと怖いようでいて優しくて、なんとも素敵な人物です。フジテレビのドラマ「優しい時間」は、毎週楽しみにしていました。これからも、ぜひ、ドラマを作りつづけてほしいです。
話の中で、倉本氏がいっていた、「いまのドラマは見ている人を馬鹿にしている。見る人間には想像力があり、ドラマとは本来、すべて説明することはないのに、今はみな、説明しすぎている」というような内容を話していました。本当にそうですよね。
だからこそ、また彼の作品を期待したいです。お元気で、これからももっともっと書きつづけてほしい。
富良野の彼の自宅近くのゴルフ場が閉鎖されて、また森に戻そうという活動をして、初めて、種にいろんなカタチがあると知ったとあり、私もいま、家庭菜園を種からはじめたくて買った本を思い出し、すごくうれしく思いました。
彼の良心、いつまでもドラマで垣間見ていきたいです。心の洗濯をさせてくださいね。
国民は、ファシストを選んでしまったようです。亀井さんが言っていたように、のちのち、必ず後悔すると思います。すぐに消費税の値上げと、サラリーマン増税、そして、配偶者控除もなくなるでしょうし、極く普通の家庭への税の負担はかなりのものになるでしょう。そして、富める者はさらに富み、貧しきものは、さらに貧しくという格差の社会になっていきます。そう、勝ち組の世の中です。さらに、ずるをして儲ける人たちがいい思いをする世の中になるのです。
悲しいですね。それでも、社民党がラッキーなことに議席を増やしたのと、共産党が一応議席を維持できたこと、これをよしとしましょう。
民主党の郵政の改革案は、国民に受け入れられなかったということです。たしかに、郵便貯金の上限を、あろうことか、他の金融機関よりも半減するというのは、許せないことです。国民の気持ちにたって政策を出せないというのは、自民党と同じじゃないのかしら?鵺のような政党と思われてもしかたないですよ。
無駄遣いや公共事業の見直しの前に、増税を賛成してしまった今回の選挙に、私は日本国民の将来に不安を感じますね。あーあ、働くだけばかばかしい世の中になるとしたら、ますますニートも増えるし、教育も荒れてくるし、最悪ですよ。虚無感に襲われます(ホリエモンが落ちてよかった)。
そういえば、料理研究家の女性、本当にちゃんと政治のお勉強するのかしら?
日本女子大西生田キャンパスの学生オーケストラの手伝いをすることになり、私はヴィオラで練習に参加しました。きのうはその2回目でした。所属の弦楽合奏団の先生がこの学生オケの指導をしてくれます。それが縁で私にもお誘いがあったというわけですが、実際に、西生田の大学生は人数が少ししかいなくて、ヴィオラは現役学生がいないようなんです。合奏団のメンバーや元団員、さらに先生指導のムジークフローあたりからも助っ人がきて、フルオケが作られるのですが、それでも管楽器はすべてのパートが揃うわけではなくて、出てこられるパートで編曲するそうです。
ヴィオラは、前回は3人でしたが、今回は二人。しかたなく、私はトップサイドに座りましたが、本番は卒業生が出てくれるものと信じています。
ハイドンや、同時代のグラーフのシンフォニーは、まだなんとか(それでも大変)なりそうですが、声楽の伴奏というのは、かなり難しいというのがわかりました。それも、主役の声楽が不在で練習するので、曲を知らない私は、途中から落ちてしまいました。ひどいのは、2拍ずれていても気がつかなくて、先生に言われて修正したり・・・。こりゃ大変、なんとかしなくてはと、焦ってしまいました。
一番難しかったのが、メサイヤのリジョイスという有名な曲(というけれど、私はメサイヤはハレルヤしか知りません)。テンポが速いので、落ちたら戻れないのです。
きっと、夫はいくつかCDを持っているだろうと、彼の帰宅後に聞いてみたら、2種類持っていました。2枚とも、マルゴワール指揮のものですが、ダブリン初演のとても長い録音のほうは、楽譜を見ても、小節総数自体が違っていました。もう1枚の、モーツァルト編曲のドイツ語版は、同じ小節数で楽譜も同じようでした。でも、こちらは男性が歌っています。ヴィオラは、通奏低音のように弾いたり、ヴァイオリンと同じように弾いたりと、とにかく、忙しい。きっかけをつかまないと、なんだかさっぱりです。メサイヤといっても、いろんな演奏があるのですね。これから、ちゃんと練習しないと。
次回はヴィオラは私一人になりそうです。いやー、大変だ・・・・。
何事も経験ですね。場数を踏んで、経験を積む、これに限るかな。といっても、40代から目覚めても、手遅れかしら。
いまは、以前にNHKの夜中の放送を録音したシックスティーンのメサイヤのビデオを見ています。夫は、この演奏をみなとみらいで聴いて、感動したそうです。
昨日、下高井戸シネマで、例の映画「コーラス」を見てきました。平日でしたが、けっこう観客が集まりましたね。7割くらい入ったでしょうか。
私はフランス映画のあの独特な雰囲気が大好きです。特に、ちょっと昔の感じがなんともいえなく、好きです。それにこの映画は、フランスの少年がたくさん出てくるのです。なんてかわいいのでしょう、日本人とは大違い(おっと失礼!)。一番チビのペピノなんて、本当、お人形さんみたい。とはいえ、いろいろ問題を抱えている子供たちの寄宿舎ですから、そんな生易しいものではありません。そこに、落ちぶれた音楽家のマチュー先生が舎監として赴任され、校長先生に反対されながらも、トラブルばかり起こす不良の子供たちに歌を教えていくのです。
一番悪で、天使の顔をした悪魔といわれるモランジュには、まさに天使の歌声の少年。この子だけ、本当の声を使っているのです。サン・マルク少年少女合唱団の団員なんですから。いずれは声変わりで彼の声もかわってしまう、その前の奇跡の歌声のボーイソプラノ、この声に、世界中のおばさまたちが魅了されてしまうのです(私もその一人)。この少年が、演技が始めてなんて、とっても思えないくらい、素敵で切なくて、少年の屈折した心理を演じきっているんです(たまりませんね)。この子を見出したマチュー先生の演技も、なかなか素晴らしい。彼に会いに来るお母さんは若くて美しい。舞台が1949年だから、きっと戦争でご主人を失ったのでしょうか、それとも未婚で彼を産んだのでしょうか、とにかく毎日レストランで一生懸命働いているのです。面会に来ると、マチュー先生は、身だしなみに気を使ってそりゃもう、大変(かなりお熱のようです)。お子さんを音楽院に進めるようにアドヴァイスしたり、彼も必死。そして当然のように失恋してしまうというエピソードもちょっとコミカルに描かれていました。古い体制の、何か悪いことをすると体罰ばかりの、いまの考え方からは想像もつかない教育方針の中で、マチューは苦慮します。自分のことしか考えない校長、心を開かない子どもたち。でも、歌うことが少年たちを変えていく。いいですよねー。美しい歌声。
でも、映画館の音響が、最初何か故障していたのか、ひどい音質でした。苦情を言いたくなったくらい。途中から直ったのか、気にならなくなりました。音楽がテーマの映画なんだから、音質はちゃんとしてほしいものです!
この映画は、本当に地味ですが、フランスではじわじわと口コミで広まり、ついにはあの変質者としか私には思えない「アメリ」を超えたそうです。トーゼンよ。
子どもには希望がある。そう思うと、涙が止まらないですね。いい映画を見ました。そしていい歌声を聞きました。いつもは、パンフも買わないのですが、今回は、パンフと、そしてサントラ盤のCDまで買ってしまいました。散財したので、帰りにノリエットに寄るのは止めて帰りました。でも、帰宅後すぐにこのCDを聞いて、また癒されました。少年合唱団が嫌いな夫には、まだ買ったことを報告していません・・・。
景気がよくなったという実感は全くないし、夫の給料は下がる一方。リストラで会社に残っている正社員の仕事量は増えているわけだから、労働強化もいいところ。かといって、そう簡単には仕事やめられないし・・・。そのうえ、専業主婦の優遇がなくなりそうだし、少子化対策で子どもへの手当ては増えるようだけれど、私のように、子どもを産まない主婦は、どんどん肩身が狭くなっていきそうです。
勝ち組と負け組、貧富の格差も広がってきました。それで、消費税アップとか定率の課税ということになれば、低所得者が生活できなくなるんです。戦後導入された累進課税はそれは素晴らしいシステムだと思います。生活にかかるお金は誰でも一緒でしょう。そこまで圧迫されたら、本当に困ります。
それよりも、無駄に使っている税金を何とかしてほしいです。政治家の議員年金、それこそ、年金改革の手始めに、廃止してほしいです。それと、官僚の天下りの全面禁止、これが一番の改革ではないでしょうか。
走れなくなったらもう殺される、そんな競走馬の社会みたいな現実で(朝ドラのファイトを見て、泣いていました)、このままいっていいのかしら?自分さえよければと、モラルも低下し、このままだと、それこそアメリカのハリケーンの時の略奪暴行が日本にも起きてしまいます。それは、自分さえよければという考えが横行する社会になるからです。競争社会は、結局はそういうことでしょう。でも、本当にこれでいいの?ものさしは一つではないはず。お金だけじゃなく、他にも価値のあるものがたくさんあるし、いろんな生き方が出来る。正義の国アメリカの現状を、もっと私たちは冷静に見るべきです。ああいう国が、イラクに戦争を起こしたわけです。治安をよくすることはできませんでした(当然でしょう)。自分の価値を人に押し付ける、そんな社会がいいとは思えない。富めるものはもっと富み、貧しきものはさらに貧しく、こんな世の中がいいなんて、とても思えない。利益中心で、本当にいいのでしょうか。民営化とは、そういうことですよね。
私が子どもの頃は、日中、家が留守になってもあまり鍵なんかかけなかった。みんなが同じような家だったし、みんなが大家族のようだった。よその子だって、ちゃんと大人が叱っていたし、それが当然だった。自分中心で格差が広がり、人を蹴落として利益をむさぼる、そういう社会が理想??労働は尊いものではなくなり、ずるをして人を騙してお金を得ようとする若者が増えて、あらゆる犯罪がでてきたじゃないですか。
弱者に厳しい世の中になりつつあります。弱肉強食になったら、それこそ、戦争ばかり起こす世界になってしまいます。
ニューオーリンズの略奪暴動も、他人事ではなくなるのかもしれません。でも、そんな社会になってほしくないです。専業主婦の弱者の叫び、どうか聞いて下さい!
さすがに、以前行列して見に行ったゴッホ展に比べたらがらがらでした(あのゴッホ展は、余りの人の多さにうんざりして、せっかく中に入っても、全く絵を鑑賞する気にはなりませんでした。あれはひどすぎる!)。私たちははやる気持ちを抑えて、お目当ての絵にたどり着くまで適当に展示品を見ていました。工芸品も多く、興味深かったのは、鎖国中の日本の漆や陶器(有田焼など)がヨーロッパに渡って、かなり影響を与えていたということでした。有田焼の作品と隣にそれを真似たマイセンの作品といった具合に展示されていて、面白かったです。また、オスマントルコの脅威とともに文化的にもトルコの影響を強く受けて、トルコブームが起きていたのも興味津々でした。音楽的にも、モーツァルトの頃はたしかに、トルコ風が流行っていましたよね。
お目当てのフェルメールの作品は、その工芸品などの展示のあとにあって、えっ??こんなところに!と驚きでした。それに、かなり絵に近づいて見られたんです。この名画を囲いのないまま、見ているなんて信じられませんでしたね。ほかにも、レンブラントの作品もありましたし、フリードリッヒの作品は3点も見ることが出来て、よかったですね。私たちは一通り見てからさらに戻って、飛ばしてみたところを丹念に見直したので、けっこう歩き回り、最後に出るときはくたくたになりました。でも、当のドレスデン国立美術館に行ったら、展示品の数はもっと膨大でしょう・・・。
会期も残りわずかです。まだご覧になっていない方、ぜひ、ご高覧下さい。そうそう、ローズカットのダイヤモンドなども展示されていて、私たちは何度も見に戻りました。素晴らしいものです。けっこう無防備に展示してあって、本当に大丈夫なのか、ルパン3世みたいな宝石泥棒が盗まないかなんて心配したりして・・・。あの宝石だけでも目の保養になりますよ。それと、トルコの馬具の装飾には、私の誕生石のトルコ石がはめ込んであったり、素敵でしたね。一足早い芸術の秋を堪能してきました。
9月1日は、防災の日です。その前後で、テレビでも随分と震災のときの心構えやあったら役に立つもの、家具をどうしたら固定できるか、などど具体的な対策を放送していました。そして、先日は、フジテレビの「いいものファンクラブ」で、避難袋の通販をやっていました。
私は、江東区森下の出身です。社会人になるまで、家族で住んでいました。江東区といえば、ゼロメートル地帯、日常で避難袋を持っていたんです。そして、父が定年前に退職して高尾山麓に移り住み、母が先にガンで亡くなり、父も平成9年に他界して、私が高尾の家の整理にいったとき、江東区と書かれた避難袋をみつけました。たぶん、母が用意したものを父はそのまま持っていたんだと思います。中をあけると、江東区当時の製造年月日でしょう、古いカンパンの缶詰などが入っていたのですが、驚いたことに、ごろごろと「缶ビール」が出てきたのです。アンタ、何考えてるの?!と絶句してしまいました。江東区のときの、それも、おそらく、「缶ビール」というものが出始めた頃のものでしょう、「純生」という缶ビール。母は日常、飲みませんでしたが、父が毎晩晩酌をしていたから入れたんでしょうね。でも、避難所でそんなもの、飲める??母の天然に呆れてしまいました。とはいえ、この年代物の純生、私は持って帰り、冷やしてグラスに開けてみました。一応、炭酸も残り、何とか飲めてしまいましたが、親のこと、いえませんね、これでは。
改めて、中味を新しくして、避難袋を身近に置いておこうと思い、検討しました。まず、バンソウコウや消毒液、傷への対処が必要です。そして、案外あると便利と、阪神大震災のときの体験者が言っていた、トイレットペーパー、新聞紙など。そして、軍手や紐、さらに私の場合、コンタクトレンズを常用しているのでとりあえずの保存液と洗浄液とレンズ入れ、まず眼鏡に替えないと生活できないでしょうし。それに、女性には欠かせない生理用品、そして、これも体験者が言っていたとりあえずの現金(ヘソクリです)、メモ帳とペン、さらに、ほしいのは、サニタリー用品。簡易トイレというものですね。避難所では、用を足すのも長い行列になるらしいです。気になるのは、ペットのこと。避難所には、連れて行かれるのでしょうか。ペットも家族なんです。
アメリカの台風災害の映像で、川の氾濫で木々の間になんとか潜んでいたレトリバーの飼い犬、あの犬は、あとで助けてもらえたのでしょうか。必死の様子が、いまも脳裏に焼き付いています。
日本のどこかの災害時の映像で、ヘリに助けてもらった高齢者が持っていたレジ袋に入っていた猫の姿が忘れられません。
アメリカの被災地で、略奪や暴動が起こっているそうです。あの正義の国アメリカでですよ。まるでバグダッドみたいだと、当事者が嘆いていたそうです。どうか、理性を失わずに、助け合ってがんばっていってほしいと思います。
とはいえ、無事に家から脱出できなくては話になりません。実は、私が寝ている真正面に大きな本棚があるのです。倒れたら、私は即死でしょう。天井との隙間を埋めれば何とか衝撃を吸収して倒れないかもしれないからと、夫が「晩年に読むんだ」といって買い集めていた文庫本(長い晩年ですこと!)をこっそり拝借して、さらに、毎月何かしら頼んでいるオルビスの箱などを使って、天井までの隙間を埋めました。これなら、大丈夫?!そして、何かあったら、避難袋と枕もとのミネラルウォーターと眼鏡を持って脱出!と、うまくいけばいいのですが・・・。
本番、何とか無事終了。といっても、反省するところはたくさんありました。とにかく、30分のロビーコンサート、大勢の皆さんに集まっていただき、なんとか終わりました。
曲目は、最初がハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」第1楽章、次に、モーツァルトのハイドンセットの中からK.421の第1楽章と第3楽章、そして、アイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」、タンゴ「碧空」、最後に、歌詞を配って、いずみたくの名曲「見上げてごらん、夜の星を」を歌ってもらって演奏しました。
紹介のあと、曲目の順番などの説明を私が担当し、この挨拶をやれば緊張しなくなるかもと思ったのですが、そうでもなかったのです。だんだん、自分のしゃべっていることもよくわからなくなってきて、最後の台詞が「よろしくお願いします」って、一体なんだ?たぶん、歌ってくださいという気持ちもあって、そう言ってしまったのでした。ちょっとヘン?
挨拶の緊張のまま、まず1曲目の「ひばり」。苦手なところ、何度もリハで練習したのに、やはり私だけ少しずれた・・・。この曲はシンコペーションが多くて、苦労するのですが、後半、そのところで、「???」になってしまい、どうも、1小節はしょってしまったような、それでもなんとか合わせて無事(でもないけれど)終盤へ。でも、はっきり、みなさんには(なんか、おかしい)と思わせてしまったようで、残念・・・・。
2曲目は、延々1年も練習しているモーツァルトの曲。でも、心残りの箇所がけっこうありました。私はどうしても、テンポ感がよくないのです。なんとか、カタチになっただけでもよかったのかな。そして、3楽章に復活をかけて?張り切って演奏したけれど、少しからぶり気味。繰り返しは、ファーストが考え事をしていたため、3度もしようとして、残り3人で制止。ちょっと間が合って仕切りなおしで、後半へ。これも、アマチュアだからこその演奏になってしまいました。でも、まさか、3度も繰り返すわけにはいかないでしょう・・・?!気を取り直して、クラシックのあとは、ロンドンデリーやタンゴや、なじみの曲で、案外、ロンドンデリーは皆気持ちよく楽器を鳴らせたと思いました。そして、タンゴも、けっこう乗りましたね。歌は、歌にあわせる演奏がかなり難しいと感じました。どうしても、歌う人がゆっくりになってしまい、あわせるのが大変で・・。でも聴きにきた人たちは、たぶんこの「見上げてごらん・・・」が一番よかったと思っているのでは?
去年に比べたら、緊張は少しは弱くなりました。とにかく、場数を踏むことですね。今度は、来月の、クラリネット奏者とのモーツァルトのクラリネット五重奏曲です。ヴィオラの聞かせどころがあるので、いまからプレッシャー感じます。
これから、一人でスパークリングワイン飲んで、乾杯します。終わったー!
この映画「シャル・ウィ・ダンス?」は、邦画で大ヒットした映画のリメイクで、前から話題になっていました。オリジナルの映画はテレビで見たのですが、リメイクのハリウッド映画も、なかなか見ごたえがありました。人物設定の細かい描写や家族、夫婦の描き方がよくできていましたね。さすがです。邦画のヒロイン草刈民代は、清楚でエレガントで素敵でした。こちらのほうは、どうかなと思ったのですが、なかなか健闘してます。それぞれの魅力といったところでしょうか。オリジナルの渡辺えり子の役は、やはり、渡辺えり子としか見られなかったけれど・・・。
大会前日の、ジョンが憧れのダンスの先生、ポリーナに特別レッスンを受けて踊るところはとても官能的で素敵でした。ステップをどうとかというのではなく、自然に自分の魂で踊ること、それを教えた彼女も、封じ込めたダンスへの情熱を取り戻していく・・。
人生には、いろんな失敗もあるけれど、チャレンジしないと、情熱を注がないと、達成感という幸せは味わえないのです。たしかに、ダンスも演奏も同じで、本番では何が起こるかわからない。でも、ステップや楽譜を越えたところに、羽ばたいた幸せがあるんだと思います。私も、その陶酔の境地をいつかきっと味わうことを夢見て、練習に励むのです。
表現することにためらってはいけません。さあ、あなたも、何か、表現してみましょう!
私も、この映画で、本当に社交ダンスをやってみたくなったものでした。ま、いつになるかな、それは?
今日の上映前の予告では、次回上映予定のフランス映画「コーラス」をやっていました。この映画も、なかなかよさそうです。とにかく、音楽に関係したものは、絶対に見たいですし、ヨーロッパ大好きなので、フランス語やイタリア語を聞くだけでもううっとり・・・。さて、近いうちに、また、下高井戸シネマに行くことにしましょう。