ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

常識とは

2014年09月20日 12時33分08秒 | 日常

 私より年上のスタッフが、内部の交換文書の表紙(送信先、送信元)に、略称を書いていたので、それは違うと言いました。

 たとえば、共同参画課なら、共参というようなことです。会話などでは当然、略称で話しますが、文字にするのに、それでは失礼だと言ったのですが、わかってくれたのかどうか。

 封筒の中のメモも、略称だったので、自分で書き直しました。

 そういうことって、常識だと思っていました。自分よりも年齢が上の人がするのが、とても信じられません。

 最近、そういうことが多いです。

 常識では考えられないことが、よく身の回りで起こります。

 先日は、仕事以外のことですが、会に参加していたとき、一人の人から、「なんで笑っているんだ」と言われ、びっくりしました。普通、人と話すときって、笑顔で話をするのが当然と思っていましたけれど。

 自分が思っていた常識って、通用しない世界もあるのでしょうか。なんだか、外の世界に出るのが、飛蚊症のこともあるし、嫌になってきました。

 相変わらず、寝るとき以外は、ハッチ(飼い猫)は慣れてくれません。こちらも、私の常識が全然、通用しません。困ったものです。

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猫グッズに、満悦!!!

2014年09月15日 13時18分29秒 | 日常

 今日から3日連続の休みを入れました。4日目は、早番で主任会議です、厳しーっ!自業自得なので、諦めます。

 とはいえ、最近は、自分の職場の上層部への不満が爆発寸前で、この先の自分の動向、本当にどうなるかはわかりません。主任会議で吼えまくって、自分で幕引きすることになるかもです。それも、人生かなと思いますけれど。

 職場の文具日用品の注文は、3か月ごとに行います。その調査と発注を昨日、やっと終わったばかり。私は今の職場に4月から入りましたが、前任者のやり方に首をかしげることばかりなのです。業務員のHさんは、スタッフの全員が、主任を向いて仕事をしていたと言います。本当は、利用者を向いて仕事すべきなのですけれど。それだけ、厳しく管理監督していたということです。

 でも、監督って、自分の下の人間を押し付けることなんですかね?私は、主任という仕事は、利用者はもちろんですが、スタッフの権利を守るためにあると思っています。でも、うちの組織は、上の人間が下を押さえつけることばかり。それって、パワハラですよね。許せないです。嘱託の薄給の身で、下に権威をふるうって、おかしすぎます。薄給の憂さ晴らしかと思いますけれど。

 そんな職場で、前任者はけちけちしていたので、ボールペンの替え芯がたくさん残っていました。それも、職場で使えるものがなくて、メーカーのホームページを駆使して、互換性のあるものを見つけ、今日は聖蹟桜ヶ丘のアートマンで、使えるボールペンを探しました。あまりにいろんなメーカーのボールペンを買うものだから店員さんは戸惑っていました。

 ところで、今日は敬老の日、祝日です。アートマンも大勢の買い物客がいました。特に、うるさい子供が多くて、閉口しました。こいつ、何やらかすかわかんないぞって輩のチビがね。正直、私は子供が好きではありません。その親も、好きではありません。さらに、その親、つまり祖父母も好きではありません。ということは、人間嫌いなんですね。わかっています。人間の質が落ちていると、前々から言っていますが、本当に、質の悪い輩ばかりになってしまいました。

 毎年、翌年のカレンダーや手帳は、」10月から販売するものと思っていましたが、先週から、つまりは9月に入ってからすでに売り始めていることに気づきました。それで、今日はボールペンの一件で訪れたついでに、カレンダーもいつも購入している学研の雨田さんの猫カレンダー、入荷したら連絡してもらいたくて問い合わせしたところ、すでに入っていたので、ゲットすることができました。そして、改装中で売り場が移動しているそのフロアをうろうろするうち、大好きなネコマンジュウのグッズを発見してしまいました。それでまた、いろいろ買い込み、合計して3回もレジに並ぶという猫おばさんになってしまいました。

 でも、雨田光弘さんの猫のイラストのカレンダーは、とっても素敵ですよ。私は多摩市に住んでいたころからずっと使っています。

 体内時計が狂う今の職場を辞めて、家に引きこもって、体制に歯をむき出して生きていこうと決心した私ですが、同居している猫との余生、思うように過ごしてみます。どうなるかなんて、ケセラセラですもの。今、56歳ですが、先日、2000年から取っておいてある雨田さんの猫カレンダーと、スケジュールを書き込んだ手帳は、なんと大学時代から途切れることなく今まで取ってあったので、自分史を作ってみようと思い立ちました。

 私が携帯電話を手にしたのは48歳、それまでは手帳やカレンダーにすべてを書き込んでいました。記憶があやふやにならないうちに、自分の生き方を見つめなおすのもいいかもしれませんね。市井の50代後半の女性というだけで、何も才能もなく子供もなく、生きてきました。今は、夫を亡くし、被災地、大熊町の猫を引き取り、その猫を中心に生きていこうと思っています。

 やっぱり、猫が好き。新聞販売店に応募した「菱田春草展」の招待券が届きました。彼は、猫の絵を多く描いています。本物に会うのが楽しみです。気ままに生きる猫が、私のお手本です。

 私は、いわゆる、何とかの犬にはならない。いつまでも、徹底的に個人主義の猫でありたい。

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芹沢介

2014年09月14日 09時47分04秒 | 日常

 今日のNHK日曜美術館は、父が影響を受けた芹沢介でした。面白くて、ずっと見入ってしまいました。飛蚊症もあまり気になりませんでした(夢中になることが一番なのかも)。

 見終わってから、また備後屋に行きたくなりました。

 父も、本当は沖縄に行きたかったことでしょう。父も、紅型が原点でしたから。

 父が亡くなってからもう17年。私の結婚後の人生は、両親に翻弄されていました。最初は母の闘病で退職し、次が父の闘病に寄り添い、看取りました。

 父はアマチュア画家でした。銀座の個展の貸画廊を探したのも私。仕事を休んでいつも手伝いました。父の絶筆の絵の制作中、彼が動けなくなり、途中から糊を落としたのは私でした。彼が編集した画集の出版は、死後でしたし、回顧展やその後の展覧会と、私はずっと父のことにかかわってきました。実はそれが苦痛でした。自分の人生を、自分の思うように生きられないのが、悔しかったのです。

 でも、夫も亡くなった今、やはり、同じ血が流れているのでしょうか、父が好きだったものには何か、心が動きます。ようやく、わだかまりをなくして、向き合えることになったのかな。

 若いころに、本当に一生かけられるものに出会いたかった。私はみな、中途半端。まあ、時間は取り戻せませんから。気がついた時から、意志を貫けばいいんです。

 今からでも、遅くはない。

 ところで、便利だからとネットで買い物をすると、次から次へとショップからメールが届きます。今ならお買い得とか、クーポンがどうのとか。必要だから買い物をしたのであって、必要もないのに、買い物はしたくない。うんざりするほど、カタログが届く。この風潮って、変じゃありませんか?消費がすべてではないはず。

 買うことで世の中が回るという構造が、もう古いんじゃないでしょうか?富とは、お金そのもの?買うために働くという構図も、まるでくるくるまわる輪の中のハツカネズミのような気がするんです。

 私はもう、そういう型にはまった生き方はしたくない。

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飛蚊症に悩む

2014年09月13日 23時44分51秒 | 日常

 そうそう、慣れるものではありません。黒い輪が、目の前にいつも現れ、それがぽにょぽにょとついてくるのですから。

 こんなに目障りなものはありません。どうしたらいいのでしょうか。たらしいコンタクトレンズは、前のよりよく見えるのですが、飛蚊もとんでもなくよく見えるのです。

 つまり、眼球の内部に浮遊しているものが、視界に出てくるので、外の世界と、体の内部の世界が同時に見えるという、本当に不思議な感覚に襲われます。

 体の内側にひっくり返るという感じなのかな。昔読んだ、ブラッドベリの火星年代記の中にあった話を思い出します。自分の体が、徐々に宇宙人に乗っ取られていく話に似ているんです。

 じっと浮遊物を追いかけていくと、自分の目が、自分の体の内部に入ってしまうのでは?

 この嫌な感じは、死ぬまで続くのでしょうか。

 気にする人と気にしない人がいる。これは、鈍感と敏感というだけではすまないような気がします。子供のころから目が悪かったから、高齢者になる前に飛蚊症になってしまう要因なのかもしれません。目は、昔の人より今の人の方が、使いすぎているんでしょう。PCに向かっているだけでも、相当なダメージを受けているんでしょうね。

 国も何もない縄文時代に、もぐりこんでみたい。裸眼では私は生活できないかもしれませんが、五感を働かせて、感覚だけて生活するという世界に、なんだかあこがれてしまいます。便利になったことで、本当に大切な感覚を、人間は失っているのではないでしょうか。まあ、縄文時代、女性は50代まで生きていられたか。何より、、子供を産まない女性が、50代まで生きることが許されたか、どうなのでしょうね。

 

 

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メガ飛蚊!!

2014年09月12日 12時56分30秒 | 日常

 まるで、ダジャレみたいですが、巨大な飛蚊ができてしまいました。

 今日は休みを入れていたので、コンタクトレンズもできたことだし、近所の名医の眼科医に、例の黒い輪っかを見てもらいました。まず、新しいコンタクトレンズが合うかどうか、検査をし、それを外してから、左目に、眼底検査のための瞳孔を開かせる目薬をして、20分経ってからの眼底撮影でした。

 結果、やはり、飛蚊症。こんなのがこれからどんどんできてしまったらとんでもなく恐ろしいので、詳しく聞いてみたら、今回のものが最大級で、視神経が壊れて外れたものが眼球の液体の中で浮遊しているとのこと。まずは慣れるしかないそうです。気になってうつ病になっちゃうと訴えました。

 これ以上の大きいものはできないということでは、安心しましたが、もともとが目が悪いから、こういう老化現象も拍車がかかるんでしょうね。これから、また大きな変化があったら相談するように言われました。まずは、網膜剥離とか、大きな病気ではなかったことに安心するしかないです。

 それにしても、突然、目の前に異物が見えるんですから、本当に迷惑この上ないです。追いかけて飛蚊症・・・・。慣れろったって、ねえ~。

 瞳孔を開くと、まぶしくて、歩くのも怖いけれど、帰りにATMでお金おろしました。見えるほうの目をつぶって歩く姿は、まるで高齢者みたい。

 私の眼は、緑内障や白内障ではないけれど、すでに飛蚊症で高齢者なのかもしれません。

 左目で見る世界は、白っぽくまぶしくて、たまりませんです。そう、これって、臨死体験ってやつに似ているのかもしれません。だって、死ぬときは、瞳孔が開くんですから。だから、臨死体験では、光に包まれてまぶしいという感じになるんでしょう。

 ハイっ、臨死体験したい方は、ぜひ、眼科医院で眼底検査をしましょう、なんちゃって。

 こう書いている間も、黒い輪っかが、ぐるぐるぐるぐる・・・。慣れるのかしら?

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黒い輪っかがずっと見える・・・

2014年09月11日 21時02分38秒 | 日常

 今日、早番勤務の時、午後3時ちょっと前に突然、視野に黒い輪ゴムのようなものがぐるぐると動きまわり、ものすごく驚いてしまいました。

 おそらく、飛蚊症なのでしょうけれど、今までは透明のものが動いていただけだったのに、今回は、黒いものなので、目障りで、気になっていると、なんだか気持ち悪くなってきました。眼底で出血したのか、だから黒いのかとか、いろいろ考えてしまいました。

 運悪く、今日は眼科医院は休診。明日は休みなのd、絵ちょうどコンタクトレンズが入ったと連絡があったので、行こうと思っていたのでした。ついでに、というか、私にとっては、飛蚊症の方を、真っ先に診てもらいたいです。

 老化現象ということになれば、この先、どんどんこういうものを我慢するしかないのでしょうか。いやです。慣れることなんか、できるのでしょうか?

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秋めいて、Gパンにしました

2014年09月08日 14時03分21秒 | 日常

 すっかり秋の陽気になりました。今までは暑くて、綿パンツをはいていましたが、そろそろ、ジーンズでも大丈夫かもと、夫のお古を履きました。

 彼のものを着ていると、なんだかちょっとほっとします。今では彼のパジャマをずっと着ているんです。

 50代後半のおばさんが着るものが、なかなかないってことかしら。情けないですね。

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最終回のドラマづくし

2014年09月06日 10時57分05秒 | 日常

 最近は、観ていたドラマの最終回が目白押し。

 仕事があるので、リアルタイムではなくて録画を見ることも多いです。

 一応、酒飲みでも面白かったので毎回無事に見ていたのが、「ゼロの真実」。このドラマの死刑囚の元教授の橋本功が演じる役、私には、「羊たちの沈黙」のレクター博士に思えてしかたありません。その神秘性を最後まで持ち続けてくれたけれど、最終回ではなんともあっけない展開で、意外にすっきりしてしまいました。

 そして、一度は見なくなったけれど姉が注目してみているというので復活して見続けた「家族狩り」、ラストの展開は、さすがに面白いものでした。リアルタイムで途中から見て、録画でもう一度見たので、後半は二度見たことになりました。「家族を開く」ということと、生きていてもいいことなんかないけれど、自分たちで楽しいことを作っていくという考えに同感しました。家族以外にも、人とのかかわりは必ずあるし、助けを求め、助けられることをがんばる、そういう絆がどんどんつながれば、人は孤独ではなくなるはず。

 以前、一度、助けを求めた人を私は拒絶してしまいました。できることはあったはずだったのに・・・。

 どこまでできるか、どこまで許せるのか、これは永遠に線引きは難しいところです。価値観、共感するところの違いは、みんなあるものですから。

 愛情表現、苦手な人が多いから、家族もうまくいかなくなっちゃうのかも。夫婦が仲が悪ければ、絶対に子供への影響があるから、注意しないと。夫婦円満でも、子供がおかしくなる場合もあるんですものね。教育者ほど、子育てに失敗するって言われることが多い。私の父が高校御教師だったから、子供としては、普通で当然、悪くなってはいけないみたいなことはあったかな。DVは連鎖します。夫が妻に暴力をふるうのを見続けて育った子供は、同じことをしますから。

 暴力、家庭内暴力、最大の物は、国家間の暴力、つまり戦争。どんなに正義を振りかざしても、暴力は絶対にいけません。言葉の暴力もそうです。誹謗中傷も、暴力です。差別も、暴力。

 今の世の中には、暴力があふれています。悲しいことです。

 「家族狩り」の、あの犯人たちが本気で、暴力によって送り出すことを正当化しているのが、怖かったです。まるで宗教の儀式ですよね。オウム事件にも通じるものがあるような・・・。

 

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作り直しました

2014年09月04日 13時32分54秒 | スローライフ(手作り)

 どうにも納得がいかなかったので、布箱のひとつを、ふたの部分だけ作り直しました。

 あまり薄い布は、向いていないみたいで、色が合うからとハンカチの生地を使ったら、ボンドがすけて、かわいても全然変わらずまだらになったままでした。それで、生地を変えて作ってみたのがこちらです。

 大岡越前の、あの襖の模様です。

 これなら、納得。

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集団という怖さ

2014年09月04日 12時45分57秒 | 日常

 先日、いじめで自殺した海上自衛官、相談をしていたのにみな、助けなかったそうです。そう、集団、特に軍隊というのは、当たり前のようにいじめがある世界です。卑怯ですよね。弱い者いじめ、それによる自殺はかなりあるらしいのです。

 階級社会は、当たり前のようにあるってことなのでしょうか。警察でも、いじめによる自殺があったばかり。集団というのは、恐ろしいものです。

 私は、個人主義者です。集団、組織にはどうしてもなじまない。弱い者いじめ、それって、女性蔑視にもつながりますよね。常に戦闘態勢にあるならず者集団、米軍海兵隊は、頻繁に沖縄で性暴力事件を起こしています。一体、何を守るっていうのか。

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