原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“変わり者”や“一匹狼”は寂しいか??

2020年06月06日 | 人間関係
 久々に、朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談を取り上げよう。


 まず私事から述べよう。

 この私も、他称“変わり者”と後ろ指をさされ、“一匹狼”と自称した時期がある。
 それは、30代近い頃だ。 ちょうど来春に医学関連民間企業を退職し、2度目の大学・大学院入学を目指していた時期だが。
 結婚願望など一切無く、とにかく自分の先々の人生をしっかりと見つめていた私にとって、特に女子達とキャピキャピ騒ぐ年代はとうの昔に過ぎてもいた。
 ただ必ずや彼氏はいたし、職場以外の友人(男がほとんどだったが)にも事欠いていなかった。

 陰で2度目の大学受験を目指し猛勉強をしながらも、職場では誰よりも働き者で誰よりも優秀社員との自負もあった。
 職場内男連中(上司等)からの酒の誘いオファーも絶えず届き、それも積極的にこなしていた。
 そんな我が姿をみる女性陣からは、おそらく“変わり者”のレッテルが貼られていたことだろう。
 
 ここで一旦表題に対する我が結論を述べるならば、たとえ“変わり者”“一匹狼”であろうと、それイコール「寂しい」との結論には至らないはずだ。
 

 さて、それでは本日2020.06.06付 “悩みのるつぼ” 50代女性からの相談内容を以下に要約しよう。

 私は長らく職場で働いて来たが、仲の親しい人がいない。 他の人達は食事に行ったり遊びに行ったりしているようだが。 職場以外でも会おうと思える人は一人もいなかったし、また誘われもしなかった。
 その原因は、自分自身の性格とコミュニケーション能力の無さ(他人に合わせる事が苦手)だと思っている。
 家族からは「変わってるからねー。 よっ、一匹狼!」とか言われる。 それはそれで家族内では、この個性が市民権を得ている気もする。
 そんなふうに生きてきた私が、このままでいいのかと悩むようになったのは、定年までの時間が見えて来た今、こんな状態で職場を去ることになる自分が一人の大人として情けない、と思うからだ。 人としてどうなのかと。
 正直寂しい気持ちと、無理をしてまでどうでもよいとしか思えない人達と付き合いたくないという気持ちの間で揺れている。
 この悩みは家族から「終わらない中二病」と命名された。 こんな青臭い悩みは若者に任せておいて、どのステージに行けば良いか、ご教示お願いしたい。

 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を引用したもの。)


 今一度、私見だが。

 正直申し上げてこの女性、今までの人生に於ける人間関係を家族だけを頼りに生きて来ている感覚を抱かされる。
 それと“変わり者” “一匹狼”とは全く異質のものだ。 それを自覚し直す事からスタートし直すべきではあるまいか?
 長年勤めた職場の退職後とは、この相談者でなくとも孤独が押し寄せるものであろう。 家族がいるから安心とは言っていられないものだろう。

 
 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、若き人材であられるようだが。

 回答内容が相談者に迎合し過ぎていないだろうか?  それを以前より懸念している原左都子だが…
 もちろん、相談回答者には“厳しさ”のみならず“優しさ”も不可欠なのだが。 “優しさ”のみが優先してしまっては結果として問題解決になり得ない点を、元教育者の立場としても指摘しておきたい。

 ただ、今回の回答者である文筆業の清田隆之氏は、よきアドバイスもされている。
 以下にそれを引用させていただこう。
 
 寂しさとは孤独、つまり「誰も自分のことを知らない」 「誰も自分に興味がない」という感覚から生まれるものだと思う。
 それを解消するには、メールや手紙、オンラインでの交流もありかもしれない。
 (以上、回答者清田氏の回答内容のごく一部を引用したもの。)

 
 その通りであろう。
 今回の50代相談者女性は、もしかしたらそれらすら利用していないのであろうか??

 今現在のネット世界を閲覧してみてごらん。
 高齢退職者達の投稿で溢れ返っている。 (あくまでもネットはブログ世界しか縁が無い原左都子の感覚に過ぎないが。)
 それらの人々が、ネット上にて自己存在を確立するべく涙ぐましいまでの努力(ポチポチごっこ、等々を端で見ていて気の毒な程に)成されている現実だ。😭 
 それほどの努力無くして、年寄りが寂しさを解消不能な今現在の世の中ではあるまいか??
 
 相談女性が退職後家族だけでない他世界との交流を図りたいのならば、まずはネットに依存するとの方策もあろうか、とアドバイス申し上げたい。