原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

国家首相の立場にして過去に国民相手に「こんな人達」と発言したのは安倍氏のみだろうが…

2020年06月17日 | 時事論評
 本日の「原左都子エッセイ集」編集画面に、2017.07.23付公開の「安倍首相の“こんな人達”発言にみる個々の人権蔑視の姿勢」と題するエッセイがランクインしていた。


 早速、以下に再掲載させていただこう。

 私ども原左都子は、昔から「皆さん」「みんな」なる言葉に嫌悪感を抱いている。
 天邪鬼の私がこの言葉を聞かされても、咄嗟に「『皆さん』って一体誰だ?!?!  あんたは誰にものが言いたいんだ?、 明確にしてから発言せよ!」 との反発心しか湧かない。
 そんな私にとっての「皆さん」なる言語とは、発言者側の独裁者としての一種特権意識が背後に潜んでいるかのような恐怖すら煽られる感がある。

 この言葉を好んで発するのは、主に学校の教員達だ。
 確かに便利な言葉なのであろう。
 クラス全体を対象に話しかけるに当たり、とりあえず「皆さん」と発しておけば、クラスの皆が聞くだろうと自己陶酔に陥ることが可能だ。
 いやいや、(何度も書くが)子供の頃から客観力があり生徒の役割を果たすべきと悟っていた私は、自分の天邪鬼気質を押し殺してでも必ずや教員達の「皆さん、…」発言は聞いたものだ。
 むしろ理解力に長けていた私は、クラスの誰よりも教員の「皆さん話」の要点を把握したことだろう。 そんな私は、(一時の反抗期を除き)ずっと「いい子」で通って来た。

 年月が経過して、自らの教員時代はどうだっただろうか?
 おそらく既に「皆さん」発言に嫌悪感を抱いていた私は、生徒達の前で決してこの言葉を使用しなかった気がする。 いや、この言葉を発せずして用が足りた気もする。 「皆さん」と言わずして簡単な挨拶の後、要件を生徒達に伝えたように記憶している。 
 「皆さん」と冒頭に付けようが付けまいが、聞く子は聞く、聞かない子は聞かない、学校現場とはそういうものであり、それぞ集団現場に於ける性(さが)でもあった事だろう。

 話題を大幅に変えよう。
 去る2017.7.2に開催された都議会議員選挙の選挙戦最終日に、自民党候補者応援のため秋葉原駅前にて演説した安倍首相の口から出たのが、「こんな人達」 との驚愕するべき発言だった。 
 その時の事の詳細を新聞情報より少し説明するなら、この秋葉原の安倍氏の演説に集まった多くの市民より「安倍辞めろ!」「帰れ!」が連呼されたのに対し、安倍氏が発したのが「“こんな人達”に負けるわけにはいかない」との雄たけび発言だったそうだ。 
 これに関するニュースをその日の夜テレビにて見聞した私は、実に驚かされた。
 安倍氏にして決して不思議・不注意とは言えない発言であろうが、これで完全に「国民を更に敵に回した」と私は実感させてもらうと共に、これで安倍政権は更に支持率を下げるものと安堵したものだ。

 ここから安倍氏の「こんな人達」発言に関する私見を述べよう。
 このニュースを見聞して私が感じたのは、恐らく安倍氏は国民(特に安倍政権)を支持してくれるあくまでも “不特定多数の得体の知れない” 国民を「皆さん」と捉えているのであろう事実だ。
 実際安倍氏の演説等々で「皆さん」発言を多発している実態とも把握している。
 これぞ、安倍氏が“安倍独裁政権”を牛耳る独裁者たらんと希望するべく発言であろうと、私はずっとマイナスの意味合いで理解して来た。
 もしかしたら安倍氏は、その対極発言として「こんな人達」なる信じ難い発言を公衆の面前で深い思慮もなく発してしまったのではあるまいか??!
 安倍氏にとっては、自分を今までずっと支持してくれた(あくまでも得体の知れない不特定多数の“なんとなく”の支持派も含めた)国民達こそが自身の味方であることには間違いない。
 それらの人々との“差別化”の意味合いで、「こんな人達」なる発言を安易に発してしまったのだろう。

 私論だが、 冒頭に記した通り、そもそも「皆さん」なる発言の意味合いを安倍氏自身が今一度深く考察してみるべきだ。
 安倍氏が言うところの「皆さん」とは、その実態が実に不透明な存在である。 (それは、縮図であろう学校現場において教員が生徒に発する場合も同様だが。) 
 その対極にある 「こんな人達」 発言は、明らかに安倍政権の支持率を急降下させる元凶だったものと私は理解している。 (中略)
 
 「皆さん」って一体誰だ? 
 これを権力者を自称する者達が明確に定義した上で、その呼称を底辺に存在する庶民に発信して欲しいとの我が思いに変わりはない。
 それと並行して、「こんな人達」と大失言してしまった時の人物 安倍さんにも提言したい。
 今後、公の場で発言する機会があるならば、「皆さん」も「こんな人達」も取りやめて、単に挨拶だけして自分が言いたい事を発言したらどうなのか?!?
 皆に自分の偏った思想を聞いてもらえると信じるその“奢り感覚”こそが安倍氏の思い上がりであり、それこそが貴方の独裁資質に他ならないだろう!?

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を要約引用したもの。)



 都知事選が間近に控えている。

 そんな中、現都知事の小池氏がメディアに姿を現さなくなった…
 小池さんに関しては、まさか都民を捕まえて「こんな人達」との失言を吐くことはないのだろう。
 それにしても、都知事選を目前にして都民の前に姿を現さない事実とは、要するに「こんな人達」いくらでも騙せるわ、と豪語していると同然ではなかろうか??!
 ついでに言うと、野党連中が出馬させた対抗馬たちも貧弱だしねえ~、と小池氏が勝ち誇っている姿が我が目には見えてしまう…

 選挙民を捕まえて、「こんな人達」発言(及び国民市民にそう匂わせる態度)は安倍氏だけで終わりにして欲しいものだ。

 小池さんが都知事選に出馬するのは自由だが、その直前まで現役都知事としてその職務(特に“コロナ禍”のクラスター分析等々)を確実に全うしてもらえないものだろうか?!!

年齢を重ねることとは“美”をどんどん手放してゆくこと…

2020年06月17日 | 自己実現
 (冒頭写真から“お化け屋敷”バージョンで申し訳ございません。 これらウィッグに関しては本文で説明します。)


 早速ウィッグの説明をしよう。
 
 私が24年程前に「頭部皮膚癌」を患い、その摘出及び自分の脚からの植皮手術を受けた事実に関しては、既に複数回公開している。
 それがために、その後日々ウィッグのお世話になっている事に関しても語った。

 24年間でオーダーメイドしたり出来合商品を購入し続け、使用したり使い物にならず押し入れにお蔵入りさせたりしたウィッグの総数は、30本を超えるだろうか。
 冒頭写真は比較的最近使用したり、これから使用予定の商品だが。

 手前2つがオーダーメイド品。 参考だがその価格は1本数十万円と高額だ! 癌手術直後期からつい最近まで、国内大手カツラメーカーによるこの高額オーダーメイド品に依存してきた。 (総額にして何百万円かをウィッグに費やして来ている。)
 一昨年末頃より、既に年金生活者の身である事に鑑みて、“ウィッグ改革”に励み始めた。
 通販品を購入する等々の手段で、1本につき数十万円もの出費を抑える努力を施している最中だ。 (後ろ2本がそれらの商品。 ロングヘア物は半年ほど前に購入したが、カットを如何に施すかの結論が未だ出せず放置状態。)


 話題が変わるが。

 現在高齢者介護施設に暮らす義母も、65歳過ぎた頃よりウィッグ愛好者だ。
 義母の場合は決して頭部皮膚癌を患った訳では無く、髪の毛の老化現象を改善する目的でウィッグを愛好し始めた様子だ。
 私同様に、国内大手カツラメーカーのオーダーウィッグを愛用してきたようだ。

 3ヶ月後に89歳を迎えるその義母が、どうもウィッグの日頃の手入れ能力を失ってしまった様子で、数本あるウィッグのいずれもがヨレヨレ状態だ。 それを見かねた私が、気に入らず未使用の私のウィッグを2本プレゼントした。
 義母がそれを心より喜んで、施設内美容室で自分の好きな長さに切りそろえて日々使用してくれていたのだが。

 昨日のことだが、それらの1本のシャンプーの仕方を誤ってボロボロにしてしまった… と電話で訴える。
 「じゃあ、もう1本を使用したらどうですか?」と言っても耳が遠く電話では伝わらない。 母曰く、「もう1本(オーダーメイドの高額ウィッグ)は美容師さんにシャンプーしてもらって綺麗にしたから、〇子さん(私のこと)に返そうと思うの。」 (要らないからプレゼントしたため返さなくていい、と何度言っても通じない。)
 引き続き義母曰く、「もうウィッグ使用はやめようと思うの。 これからはウィッグを被らず、ありのままの婆さんの姿で生きていこうかと思っている。」


 認知症を抱えている義母だが、その義母の「声明」にいたく説得力があり、驚くというよりも感動させられた私だ。😭 
 そう言えば郷里の実母も、白髪染めを今後一切やめてこれからは真っ白な頭で生きていく、と昨年私に宣言したものだ。

 まさに年齢を重ねることとは、身繕い能力を喪失しつつ “美” をどんどん手放していくことと実感させられる。😪 


 この私にも、いつかそんな日が訪れるのであろうか?
 なるべくそうならずに、一生に渡って✨“身繕い能力”✨を維持し続けたいものだが。
  
 とりあえず、“コロナ禍”が過ぎ去って今度義母に会える時に、我が不要なウィッグを2本ほど持参してあげようかとも考えているのだが…